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My Story

My Story

いまを生きる Ⅰ
Gさん (西日本在住 1958年生まれ)

2018年02月28日更新

53歳での発病時ステージ3b。
術前化学療法(ドセタキセルとTS-1)を6クール(18週間)後、左乳腺全摘と左リンパ節郭清手術。
術後はホルモン剤(レトロゾール)を5年間。2017年秋より、骨粗しょう症予防薬のみ服用中。

(1)がん発覚
検診類は定期的に受けていて、それまで異常がなかった。しこりに気づいたときも乳腺炎だと思い、2年前にも検診で訪れたクリニックを受診すると腫瘍はすでに5cmの大きさ。治療は地元の大学病院で受けることになった。
大学病院乳腺外科ではいつも、老若の女性、夫婦、親子などのたくさんの人たちが静かに待っていた。私にも「がん」の番が回ってきたのだなと思った。

(2)標準治療
2012年3月より病院の標準治療を受けた。
術前化学療法は3週間が1クール。1日目に外来で「ドセタキセル」の点滴、その後2週間は「TS-1」を自宅で服用、残りの1週間は休薬期間。
病院の研究目的のために、点滴1週間後にも来院し血液と尿を採取。
4クール後にがんが小さくなっていたら手術するが、もっと小さくなりそうならもう4クール繰り返す、小さくなる気配がなければ別の抗がん剤に変えて、4クール繰り返す、という計画。
セカンドオピニオンという言葉は知っていたが、権威も実績もある地元病院と医師が信頼できたので、健康保険適用の標準治療でいいと思った。

(3)周囲に隠しての治療
悩んだのは、実家の両親のこと。
ともに八十歳を超えた、足腰の悪い母と病身の父が助け合って暮らしている状態で、姉は遠方にいるから、次女の私が時折訪ねて見守っていた。
老いた親に娘の病気で心配させられないし、今の親を残して先に死んだら、姉にも申し訳ない。
両親を見送るまでは生きていたい。ステージ3bの5年生存率は65パーセント程度らしいから、多数派に入りたい。
当面は、姉にも親族にも、職場にも親しい友達にも、私のがんのことを知らせないと決めた。
私と夫と子ども二人だけの秘密で、ちょっとしたスパイごっこだ。
だから、できるだけ本物に見えることを期待して、人毛の高級カツラを買った。
仕事も続けて、抗がん剤が終わって手術日程が決まってから「初期の乳がんとわかったので簡単な手術をする」という話にして、親と姉に伝える。親に気づかわれる方が困る、という自分本位な理由でもあった。
体力を使わず調子の悪い時は休める職場なら、本人にとっても心理的によい影響が期待できるので、できるだけ仕事を続けたほうがよいでしょうと、病院でも聞いていた。

(4)脱毛と副作用
死への恐怖や、胸を失うことよりも、髪が抜けることが大問題だった。 がんを誰にも知られたくないのだから。
もともと私の胸は薄いし、常に覆っておける。けれど、女に髪がなくなったら、日本での社会生活は不便だ。髪をベールで隠すイスラムの風習は、合理的だと思った。
幸い、実家の親はカツラに気づかなかった。
職場では気づいた人もいただろうが、良識のある人が多くて助かった。
他の副作用は、味覚異常、貧血、涙目、爪の黒ずみなど。
体重はすぐに5キロ以上減ったので、細身のパンツ類の見栄えがよくなった気がしてうれしかったが、体力はなくなり通勤の自転車も休み休みこぐ。
けれど、座ってできる仕事だったので、職務に集中することで副作用から気をそらせることができた。
めまいがしても、外では常にカツラのことから気を抜かなかった。
                                    
(5)全摘手術
4クール目が終わると腫瘍は6ミリ程度になっていた。
その後2クール追加しても6ミリのままだったので、化学療法は終わり、親たちにも告知。
職場には、病名は告げずに手術をするとだけ伝えて、2週間の休みをとった。
万が一復帰できなくてもいいように、仕事の区切りをつけて私物も持ち帰ってから、入院した。
部分摘出も希望できたが、術後の放射線治療や再手術の恐れもあったので、全摘に迷いはなかった。
私のアイデンティティは胸じゃないから、再建も考えたことがない。  (3月15日に 続く)