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My Story

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「手術不可能といわれた→でも手術に漕ぎつけた→そして、生きている!」その①
     (2018年6月、あけぼの愛知講演会で体験発表をしました)
鈴木みちよ(あけぼの愛知)

2019年01月24日更新

2018年8月、宝剣岳(千畳敷カール)に登山しました!<br>今年はオーストラリアに行く計画をしています。width=2018年8月、宝剣岳(千畳敷カール)に登山しました!
今年はオーストラリアに行く計画をしています。

●発見、告知、手術不可能
・2016年3月、右胸に針が刺すような痛みがあり、胸全体が張って痛かったので、何かの炎症だろうと軽く思って、総合病院を受診、そこで乳がんの告知を受けました。まさか、乳がんになるとは思っていませんでした。乳がん検診は4年半も間を空けてしまっていたので、「検診を受けていれば」と自分を責め、悔しくて涙が止まりませんでした。
・4月、愛知県がんセンターで、ステージⅣ、リンパ節、肝臓と骨転移があり、手術不可能、 延命治療と宣告されました。主人と聞きました。怖くて詳しい内容は聞けませんでした。「もう私の未来はない」「このまま辛い抗がん剤治療を行いながら死んでいくのか~」悔しさと虚しさだけが私を襲い、辛く苦しかったです。「来年の娘の大学の卒業式に出席できないのか」と家族のことを考えると涙が溢れて悲しかったです。

●臨床試験に参加、手術を目的にすることを決める
 でも、私は元気なのに、なぜステージⅣなのか?信じられませんでした。「手術をしてほしい」と伝えると、「ステージⅣ、原発巣手術あり/なし」の臨床試験があると説明があり、即答で参加することにしました。この時、手術を目標に治療していこうと決意しました。だけど、あと、どのくらい生きられるか、先を思うと不安しかなかったです。
・4月からタキソテール、ハーセプチン、パージェタの化学療法を始めました。
・2か月後の6月、右胸のしこりが小さくなってきました。ここでやっと主治医に自分の がんの詳しいことを聞くことが出来ました。私のがんは、4㎝×6㎝、グレードⅢ、HER2陽性、ホルモン陰性。
 この3か月間、毎日、ネットばかり検索、悪いことしか考えられず、泣いてばかりいました。「私は生きたい、がんに負けるもんか」と頑張ったり、気持ちが沈み、どうしようもなくなったり、の繰り返しでした。社会から疎外されているように感じて孤独でした。
 周りにがんであることを知られたくなかったので、いつも隠れるように生活していました。ただ、がんを深刻にとらえず、病人扱いしなかった家族が唯一の支えでした。また、私の母の心配する姿を見て「私は、母より先に死ねない」と強く思いました。

●化学療法でがんが消えたので手術はしない
・7月、右胸、リンパ節、肝臓、骨のがんはほぼ消失。臨床試験で「手術しないグループ」になりました。主治医からは、抗がん剤が効いている、がんが消えてきたから今は手術する必要がないと説明を受けました。浮腫の副作用が強く出たため、タキソテールが中止になり、分子標的薬を継続することになりました。
 私は「手術をするグループ」に入るのを目標にしてきたので複雑な思いでした。いい結果にもかかわらず、肝臓と骨が消えているなら、「手術がしたい、がんのある胸を取りたい」手術出来ないことにモンモンとしていました。どうしていいのか、わからなくなり、名古屋市がん情報サロンに行き、【あけぼの会】へと繋がりました。

●【あけぼの会】に参加する
 「体験者と会って話がしたい」と思い、あけぼの会に参加しました。そこで、ずっと一人で抱えていた不安な気持ちを、話せた、わかってもらえた、何でも話せる仲間が出来た、”ひとりじゃない!”心が軽くなり心晴れやかになりました。ただ、私は手術をしてないので、これからどうなるのか?と内心、不安でした。しかし、その会場で、化学療法認定看護師(会員)の方から話を聞いて、私のがんに対する過剰な恐怖心が薄らいできました。

●がんについて勉強、正しい情報を得ることに決める
 私はネットの曖昧な情報に惑わされていたのです。【あけぼの会】で、正しい情報を得ること、また人と会って話すことが大切だと実感しました。初めて参加した日の帰宅後、主人は「乳がんになってから、笑顔でペラペラ嬉しそうにしゃべる私を見てほっとした」と言っていました。
 私は自分のがんについて勉強することにしました。あけぼの会の会報を必死に読み、講演会、相談会で正しい情報を得たことによって、安心して今後の治療に臨めるようになりました。また、この頃は、がん患者の集まる様々な場所に出かけていました。
・2016年11月、がんは消失したままでしたので、主治医と相談して、がんが出てきたところで手術を考えることにしました。
・2017年6月、分子標的薬を継続していましたが、右胸にポツリとしたものを見つけ、これががん細胞でした。主治医に手術をしたいことを伝えて、転移の検査結果を待ちました。この時は小林麻央さんの死と自分を重ねてしまい、辛かったです。

                                           →その②に続く