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My Story

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「ダブルキャンサーだなんて」その①
山本康代(北海道枝幸郡)

2019年02月12日更新

ワットさん、声かけて頂き、ありがとうございました♡   <br>奇しくも今日(2/12)、68歳を迎える夫、山本松一への素敵なプレゼントになり、感謝申し上げます。 ワットさん、声かけて頂き、ありがとうございました♡
奇しくも今日(2/12)、68歳を迎える夫、山本松一への素敵なプレゼントになり、感謝申し上げます!

★私は挑戦的、ひたむき人間だった!
 私は北海道の北の果て、知る人ぞ知る、知らない人は知らない、主な産業が漁業と酪農という枝幸町に、獣医師をする主人と暮らしています。子供は息子2人で、長男は東京の八王子在住、音響の仕事、子供2人の4人家族。次男は礼文島在住で漁師、子供3人の5人家族です。元気な時は、田舎暮らしを満喫し、楽しく暮らしていられたのですが、この病気になってからは、田舎の不便さを痛感しています。先ず、5時間6時間もかかる札幌通いが始まり、その都度、交通費、ホテル代など、かなり多額な出費になる。手術や治療中には、肉体的にもかなり負担がかかり、皮肉な話ですが、元気じゃないと病院にも行けない、と呟いていました。私のように医療過疎に暮らす患者さん達にはそういう余計な苦労もあるので、自分を含めて、かなり不利に感じます。地方の患者さん達は本当によく頑張っています。
 乳房再建の時も、当時は札幌では出来なくて、横浜まで2年間、何度も通いました。でも、再建したことで、私は更に前向きになりました。自分がこんなにも挑戦的でひたむきな人間だとは思ってもいませんでした。 

★経過
 2000年3月(45歳)、 札幌の病院で左全摘手術、リンパ節転移ナシ、ステージⅡ、グレード3。 テレビで丁度シドニーオリンピックが放映されていて、 閉会式で「4年後の次の開催地がアテネ」と報じていたけれど 「私はアテネオリンピックなんて、死んでるから関係ないなぁ」 「私の人生、もうお終いだ」と思ったことが忘れられない。(今は思い出して、苦笑してます)
 2000年4月 抗がん剤開始、ホルモンレセプター陰性、トリプルネガティブにより ホルモン療法出来ず、再発予防のため、CMF6クール 。終了後、まだ死なない気が湧いてくる 。
 2000年秋  【あけぼの会】をインターネットで自力発見、即入会、 その時、【あけぼの会】北海道支部長の関川正美さんと出会い、 今日まで18年にも亘る長いお付き合いとなっている。 
 2000年10月 東京の【あけぼの会】全国大会・シンポジュームに参加。会場で、札幌からのやさしい先輩常田さん、中野さんと出会う。そして、ワット隆子会長、永 六輔氏、大宅映子氏等々ご尊顔を仰ぎみて、大興奮! エスティ ローダー社から化粧品まで頂いて、なんとも 華やいだ一夜を過ごしました。

★再建手術
 2002年4月  聖マリアンナ病院(神奈川県)形成外科にて乳房再建
 2003年4月  乳輪乳頭再建
 あけぼの会で大勢の仲間もでき、積極的な気持ちを取り戻すことができ、いろいろな活動にも参加、 大好きな登山、山スキーを再開、 夫と愛犬と共にアウトドアを楽しむ日々が送れるようになってました。告知を受けたあの日には想像も出来なかったことでした。辛くて悲しい出来事も、永遠には続かないことを身を以て知ったときでした。
 これまでの間には 沢山の仲間が亡くなったことは言うまでもありません。 無念だったでしょう。誰一人として、納得して逝ったとは思えない、言えない。でも、健気に、勇敢に、人生を投げ出すことなく、この憎むべき病と向き合い、 屈せず、 誇り高く生き切られました。 あのかた達と出会えたことに深く強く感謝です。
 がんになって良かったなんて、決して思わないけれど、がんにならなければ、気付くことが出来なかったことが沢山ある。 がんは私を成長させ、日常に沢山溢れている幸せにたびたび気付かせてくれました。 命の大切さも、、、です。
                   その②へ続く→ 
         山本康代 kamuko5309@docomo.ne.jp

この続きは2月17日に掲載予定です。どうぞご期待ください!