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My Story

My Story

それでも前を向いて生きていく
−−再発−辛い治療−−仕事も続けている(前編)−−
Kさん(東京都)

2020年03月26日更新

――辛い治療も家族の愛に支えられていますーー

ファミリーのよう・・・(撮影:和崎美幸・山口 3/20)――辛い治療も家族の愛に支えられていますーー
ファミリーのよう・・・(撮影:和崎美幸・山口 3/20)

▲はじめに
 先日、長い間ご無沙汰していたワット前会長さんに近況をメールしましたら、「My Story」に載せたいから、順を追って経過を書いて、と言われました。2回ほど、メールのやり取りで完成間近だったのですが、数日前からピリピリと皮膚に違和感があり、トモセラピーの後遺症かと考えていたら、発疹が出て、すぐに皮膚科に行ったら、案じた通り帯状疱疹でした^^; 
 水曜日(3/18)にEC12回目(あと2回でMAX)の予定だったので、直後だったのですが、朝6時30分の電車で向かったのに、治療は出来ないと言われました!!(がっかり!)致し方ないです。暫く寝こんでいましたが、ようやく復活してきました。 
 私のECの最大の副作用は白血球が下がり感染症などにかかることですねー。インフルエンザになってから手洗いとうがいはバッチリだったのですが、まさか帯状疱疹になるとは‥休息もやはり大切と思い、今はおとなしく次の治療日を待っています。(2020/3/21)
−−抗がん剤によって生かされる命があることを知って欲しい −−この思いで書きました。

▲告知
 以前から、マンモグラフィーは定期的に受けていたが、私の乳がんはマンモでは写らないタイプだった。友人にマンモには写らないこともあるから、エコーも受けた方がいいと聞いて、健康診断のオプションにエコーを追加してもらった。技師さんのカチカチッという音で、今回ちょっとまずそうだな、と感じていたら、やはり結果は再検査、提携先の某国立病院を受診した。細胞診の検査までおこなわれたが、陰性という結果。また半年後に念のため診せて下さいと言われ、一瞬ホッとした。が、乳がん経験者の知り合いに、あとで陽性と言われることもよく聞くから、必ず半年後に受診した方がいいよと言われた。

▲しこり発見
 時々痛みを感じるようになったので、触診するようにしていたら、半年を迎える少し前に自分でしこりを見つけた。検査の結果は陽性、しかも主治医が書いてくれたメモによると、抗がん剤もしなくてはいけないようだった。残念だったのは、主治医が結果を伝えるのにパソコンの方を向いていて、少しも私の顔を見てくれなかったことだった。このとき私の中に強い不信感が募った。

▲2016年―ネットで探した病院で手術
 それで、別の病院を探すことに決めて、ネットで検索し始めたが、当時、芸能人の乳がんが話題で、どこもいっぱいだった。でも自宅から2時間の病院がすぐに手術を受け入れてくれた。手術は温存で回復も早かった。

▲2017年1月末の病理結果はトリプルポジティブ、センチネルリンパ節陰性、 ステージ2aで、あと2mm小さければステージ1だった、と言われた。ただ悪性度は強、抗がん剤はウィークリーパクリタキセル3ヶ月とハーセプチン1年、ホルモン治療、放射線治療と決まった。このとき、職場の社長に抗がん剤を反対され、知り合いに免疫療法をやっている友人がいるから紹介出来ると言われたが断った。

▲私の仕事は人前で話す仕事
 仕事は手術前からお休みをいただいていたが息子の卒園式を控えていて、その謝恩会で総合司会を務めることになっていた。そこで主治医に相談して、抗がん剤開始を3月半ばの卒園式後からスタートすることにしてもらった。代わりにホルモン治療を先行させた。ガイドラインには「術後3カ月以内に抗がん剤をスタートすれば問題ない」との記載もあったので、延期はその範囲内だったから安心した。抗がん剤は拍子抜けするほど副作用はなく、脱毛だけだった。あまりに元気で家族から全く労われず愚痴っていた程だった。
 自宅で、ネットを通して、他の人の治療経歴を見る時間が得られた。そこで私と同じタイプで早期でも抗がん剤半年という例が多いことが気になった。自分は大丈夫か、少し不安だったが、主治医には質問し辛い雰囲気があって聞くことが出来なかった。

▲2018年―再発
 ハーセプチンあと1回という所まで来て、主治医から「マーカーの数値が高い」と言われた。PETの結果はリンパ節多発(縦隔リンパ節にも転移)、肋骨にも転移していた。すぐに治療開始:ハーセプチン、パージェタハラヴェンを7クール。すぐに効果が出たが、半年後にまたマーカーが上昇し、ハーセプチン、パージェタにドセタキセルが加わり、この時からが、まさに闘病生活のスタートだった。副作用が半端ではなかった。しかも副作用が強く出た割りにはマーカーがそれ程下がらなかった。

▲胸膜播種の疑い、胸膜にトモセラピー照射
 その為PET検査をすることになった。結果は胸膜のみ増大傾向で胸膜播種の疑い、ただ幸いにも他は集積低下だった為、抗がん剤をお休みして、胸膜に30回のトモセラピーを照射することになった。通院が大変だったが、ドセタキセルの副作用に悩まされていたので、これはありがたい休息期間になった。
 トモセラピー後はマーカーも下がり、「ドセ目標7クール」と言われていたので頑張った。ただドセの副作用も私にはひどいものだった。味覚障害、顔・体のひどい浮腫、乾燥、白血球の低下、下痢、瞼の痙攣、涙目、脱毛などで、見た目が大きく変化していた。まさに病人という姿になってしまい、人と会うのが嫌になり、落ち込み、自宅に引きこもりがちになった。

▲辛い副作用/家族の愛に支えられ
 ただ仕事には術後半年で復帰して、再発が分かってからも続けていた。ドセの治療時は帰宅したらソファに倒れ込む日も多かったが、仕事は支えにもなっていた。何より大変だった副作用は5クール目からの皮膚疾患だった。投与後、腕に赤みが広がり脚も同じ状態になった。もちろん皮膚科にも行きステロイド薬をいただいたが、効果はあまりなかった。主治医に相談しても、皮膚科でもらっている以上の薬はないと言われた。
 痛くて眠れずタオルで患部を冷やしたり、ロキソニンが手放せなくなり、洋服が触れるだけで激痛が走るほどだった。主人が明け方に何度も冷たいタオルに替えてくれた。申し訳なさもあったが、家族のあたたかさを感じた。治療が辛い時は子供達(現在小3の息子と中2の娘)の笑顔にアロマよりずっと癒された。

▲楽しみを後回しにしていられない
 こんなに大変な治療中も家族旅行でニューヨークにも行った。命があとわずかなら意地でも行かなきゃと思ったのだったが、機内では腹痛でトイレに行きっぱなし、なかなか大変な旅になった。でも最高の思い出が出来た。再発してからは楽しみを後回しにしてはいられなかった。何とか目標7クールやったが筋力の低下に愕然とした。

ー後編ーは4月10日に掲載予定です。