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My Story

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人生は想定外!⑥ー2
――2012年手術→2019年結婚、妊娠、出産(46歳で)
アキ(あけぼの岐阜)

2020年09月02日更新

お花も虫も、精一杯生きてます<br>撮影:前田こずえ(東京)お花も虫も、精一杯生きてます
撮影:前田こずえ(東京)

仕事仕事の日々だった  
 がんと分かった時、「どうして私が?」というより、「だろうな」と納得する気持ちのほうが強かったと思います。当時、私は職場では海外の取引先とのやりとりをする部署の事務をしていました。毎日忙しく残業続きで、朝8時前から夜10時過ぎまでという生活を、その時点で2年ほど続けていました。また、土日も仕事をしたり、趣味の登山やバドミントンをするなど、寝る間も惜しんで常に何かをしていました。仕事も遊びも、自分が好きでやっていたことで、残業を減らすために効率的に仕事をこなす方法を研究したりしていましたが、結局は睡眠を削り(平日は4時間、5時間寝れば超ラッキー!)、湯船につかる時間も惜しくてシャワーだけで済まし、ご飯も仕事をしながら簡単につまめるもので済ますというような日々でした。
 朝ご飯はしっかり食べる派でしたので、三食は一応とっていましたが、栄養バランスという概念が全くなく、時間に追われ、心身ともに自分の健康を考えるという発想は皆無でした。勿論、しんどかったですが、「自分の限界はどのくらいなんだろう。今99%ぎりぎりなら、ちょっとセーブするけど、まだ75とか85%とかで余裕があるなら、もっともっと働くのに」と思っていました。今考えると、本当に愚かでした。

「今は治る時代だから」
 このような結果が出ても、まだ両親に話せませんでした。離れて暮らしていたのと、心配かけるだけだと思い、話すのはもう少し治療のめどが立って、安心材料ができてから、と思っていました。一方職場には、最初の検査の後、精密検査を受けることになった時点で報告していました。検査を受けるための休みが必要だったので、「気軽に」話せました。
 両親は私が忙しくて残業続きの日々ということはわかっていて、特に母親には心配かけていたと思いますが、私は仕事を優先していたのです。先生と治療計画を相談していく中でもまだ「仕事はどうなるんだろ」と考えていました。
 ある時、上司に「次回のミーティングでみんなに話していいか」と聞かれました。私の入院や通院のために仕事の分担を見直す必要が出て、その理解を求めるためでした。当然のことだと思い承諾しましたが、その時になって初めて「職場の人やみんなが知っているのに、こんな大事なことを、親はまだ知らされずにいる」と気づきました。やはりおかしいことだと思い、姉と一緒に親に話しました。かなりショックを受けたと思いますが、明るく一言、「今は治る時代だから」と言ってくれました。
 その後、治療方針を考えていく中でも、抗がん剤で毛が抜けた私の姿を見ても、陰で涙を流していたと聞いていますが、私の前では常に落ち着いてふるまい、金銭面でも精神面でも安心できるよう、全面的に支えてくれました。

卵子保存をするかしないか
 治療については、私も家族も、先生方の勧める標準治療でと決めていました。鵜呑みにするのではなく、川口先生が信頼のおけるドクターだという安心感から出た結論でした。ただ、一つだけ大きな決断を迫られることがありました。治療開始前の卵子保存についてです。当時私は40歳に迫っており、結婚の予定も全くありませんでしたので、子供を持つことは想定していませんでした。ですので、先生から説明を受け、卵子保存希望の有無を聞かれた際も、「特に考えていません」と即答しました。
 ただ、その後迷いが生じ、家族と話し合いを持った時、家族からは「卵子保存のために治療開始が遅れるのは怖い。アキを失いたくない」と言われました。卵子を採取するのは簡単なことでないのです。毎月生理が来ていても、すぐに適した卵子を採取できるかどうかは分かりません。妊娠に適した年齢もとうに過ぎており、一層難しい状況でした。
 また、私は未婚だったため、卵子保存の対象として良いか、採取する医療機関の倫理委員会にかける必要があるとのことでした。その審査にも数か月かかる予定で、その間、治療は始められません。私は、卵子保存をしないという選択をしました。この時、「私は一生子供を持つことはないんだ」と思いました。ただ、冒頭に書いた通り、この7年後、私は子供を授かることになりました。

そして手術
 2012年12月13日、右胸部分切除手術。初めての全身麻酔はとても不思議な体験でした。「アキさん、酸素濃度を測る装置をつけますね」「アキさん、麻酔のマスクを着けますね。眠くなる成分が入っています」。続いて「アキさん」と言われ「次は何だろう?」と思ったら「終わりました」。手術前の準備を看護士さんと話をしていたつもりが、既に手術が終わっていたのです。
 麻酔をかけられると、意識が薄れていき、何度も名前を呼ばれて「うーん・・・」と目覚めるものと想像していたのが、一瞬も意識が途切れることなく麻酔から覚めていました。その後また眠りに落ちましたが、夜中に目が覚めて朝まではなかなか眠れず、身動きも取れず、とてもつらい一夜でした。
 断端にがん細胞は見られないということで、手術できれいに除去されていました。腋下リンパ節への移転もなかったので、郭清の必要もなく、最初の所見通りでした。悪性度は中程度だったので、早期発見でしたが念のため抗がん剤治療と放射線治療、その後ホルモン治療をすることで確定しました。入院は12月後半でしたので、仕事はそのまま休みをもらい、年末年始を久しぶりに両親とのんびり過ごしました。

 この続きは、9月9日(水)に掲載予定です。