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My Story

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人生は想定外!⑥ー5
――2012年手術→2019年結婚、妊娠、出産(46歳で)
アキ(あけぼの岐阜)

2020年09月23日更新

手術後7年目にWedding Bell♪ 今、1歳のベビーもいます手術後7年目にWedding Bell♪ 今、1歳のベビーもいます

結婚、妊娠
 その後、主人と出会い、2019年3月に結婚が決まり、結婚式に向けて準備をしていた5月に妊娠が分かりました。生理再開から2年ほどしか経っていませんでした。小さな命の灯を見た私は「幸せ」などという一語では言い表せない不思議な感覚のまま病院を出ました。そして、病院を一歩出て、他人が視界に入ると反射的に神経がピリリとするのが分かりました。「何人たりともこの子に触れさせない!」、子連れの野生動物が殺気立つと言いますが、その時の私はまさにそれでした。
 血腫のようなものがあるので切迫流産の診断を受け、そのまま1ヶ月半ほど仕事を休むことになりました。とにかく大事に大事に。お腹に赤ちゃんがいると思うと、くしゃみや咳をするのも気を使い、トイレさえも心配になりました。まさか自分が子供に恵まれるとは思っても見なかったので、関連の情報を集めたこともなく、おろおろするばかりでした。ただ、乳がんの時と違って「それより仕事が大事」という気持ちは全く起こりませんでした。
 マタニティクリニックでの2回目の診察の時、私の年齢と既往歴を見て、当院では経験がないのでと、総合病院への転院を勧められました。設備や実績、結婚後の新居との位置関係から、岐阜県総合医療センターに転院しました。妊娠の経過は順調で、血腫と思われたものもそうではなかったようです。途中、妊婦高血糖症が出ましたが、すぐに良くなりました。その後は特に問題なく、赤ちゃんの発育状況は常に標準的で、障害の兆候も見られないとのことでした。
 私たちは羊水検査を受けないと決めていました。主人が「羊水検査はただの“可能性”に過ぎないし、受けるのは何かあると分かった時、妊娠を中断する判断をするためのものだと思う。自分にはその判断はないから」と言ってくれたからです。妊娠検査薬が陽性反応を示した時も、不安もあると言った私に、「何があっても受け入れよう」と言ってくれていました。
 診察は胎内の赤ちゃんと対面(?)できる貴重な機会、毎回楽しみにしていました。妊娠前や妊娠が分かった時は「生理も止めていたし、そもそも超高齢だから、何の問題もない赤ちゃんが生まれてくる可能性は低いだろう」と、不安が大きかったのですが、妊婦生活が始まってからは不思議とそういう考えは薄れていきました。体調管理や子を守ること(転倒などへの注意)、栄養バランスの取れた食生活を送ることなどに必死で、他のことを考える余裕がなかったのだと思います。

血圧が高くなり急遽入院
 正産期に入る前日の12月11日、定期健診で血圧が非常に高くなっていることが分かりました。翌日も下がらず、13日に急遽入院して出産に備えることとなりました。バタバタと入院手続きを済ませ病室に入り「まさに7年前の今日、乳がんの手術を受けたんだったなぁ」と思い起こしていました。あの時は、自分が結婚し子供に恵まれるなんて夢にも思っていなかったのに。  
 前駆陣痛は見られたのですが、妊婦高血圧症で、母体にも胎児にも良くない状態となっていたため、陣痛促進の措置を施すこととなりました。12月17日、スポンジのようなものを入れて子宮口を広げる措置を受けました(担当の医師いわく、「“ふえるわかめちゃん”のようなもの」)。翌18日には、バルーンを入れて広げようとしたのですが、その日の夕方、バルーンが出て来てしまいました。これは効果が出たということだったのです。バルーンの挿入はとても痛かったので、正直ほっとしましたが「その時」が近づいていると思うとドキドキしました。
 毎日来てくれていた主人が「明日休みを取ったから」と言ってくれたのに「すぐ出てくるわけじゃないのよー!そんな簡単に休み取っちゃって、肝心な時に休んでもらえなかったら困るー」と叫んでいました。しかし結果としては、主人の判断は正しかったのです。

帝王切開かと言われた  
 その日の夕方、陣痛室(3人部屋)に引越ししました。夜11時ごろ、「この部屋に移る人がもう一人いるが、その人は熱があるのでアキさんは元の部屋に戻ってほしい」と言われ、一般病室に戻りました。するとその後、夜中の0時ごろ陣痛が来ました。ついに来た?そう思いスマホのアプリで測り始めました。1時間ほど耐え、陣痛の間隔が5~6分から2~3分になったころにナースコールしました。陣痛室に空きがなかったため、そのまま分娩室に案内されました。午前2時ごろのことでした。そこでも苦しみましたが、分娩台に乗っているので安心できました。
「ご主人に連絡しますか?」と聞かれましたが、まだ早いと思い、朝5時過ぎまで待って、主人に電話しました。30分ほどで来てくれました。近くに住む姉にも連絡してくれて、姉も駆けつけてくれ、姉から母にも連絡が行きましたが、実家からは車で50分ほどかかります。陣痛は、なんとも表現しがたい痛みでした。痛くて苦しくて重くもある感じ。「生理痛のものすごく酷いもの」と表現する人もいましたが納得でした。
 分娩室は意外と開放的で、主人も姉も室内にいさせてもらえました。私は痛みに耐えながら、助産師さんたちの「深呼吸して~」に従っていました。時々「いきみたいですか?」と聞かれましたが「いきみたい」って自分が決めることなの?「分かりません~」と返していました。いきむのもタイミングがあると本で読んでいたので、助産師さんの指示があるまでは、ひたすら深呼吸を心がけていました。ただ、あまりの痛さに「無理ー!」と叫ぶこともありました。
 そして朝7時、なかなか降りてこないため、緊急帝王切開の可能性が出てきました。「心拍数が下がっています」、赤ちゃんのことです。痛みで頭がもうろうとしていましたが、その言葉だけははっきり覚えています。その後「切開します。3、2、1、はい!」と聞こえ、生暖かい感じがしました。「(帝王切開の)部屋、準備できました!」「先生が来ました!」そして、「ストレッチャー来ました!」という最後の段階、この時になって、助産師さんが「もう一回だけ頑張ってみよう」と私に声をかけました。「えっ?いきんでもよかったの?指示待ちで我慢してたのに」と思いましたが「えーい、もう何でもいいから出て来ーい!」事前に予習した通り、おへそを見るように頭を上げて思い切りいきみました。ずるっと出てくる感覚があり、次の瞬間、大きな歓声が上がりました。

この続きは、9月30日(水)に掲載予定です。