HOMEお問い合わせ
あけぼの会事務局  〒812-0044 福岡県福岡市博多区千代5-1-4-620  TEL&FAX:092-651-1751(月~金10:00〜16:00)  akebonokai.since1978@gmail.com

My Story

My Story

My Story(2016/8)あれから5年、その後の経過報告(最終回)
廣瀬満重 (東京在住・1961年生まれ)

2021年09月16日更新

白百合<br<  ――花言葉: 純粋; 無垢; 威厳<br>撮影:前田こずえ(東京)2021/7白百合
――花言葉: 純粋; 無垢; 威厳
撮影:前田こずえ(東京)2021/7

2022年3月、晴れて定年退職
 来年3月末には定年退職、卒業です。残り7か月、就職した時の目標だった「定年までフルタイム勤務」をもうすぐ達成です!再発がんを抱えながら、よくぞここまで辿り着いた、と自分を褒めてあげたい思いです。言葉に尽くせぬ苦しい日々もありました。けれどどんなに苦しくても、途中で諦めることはしませんでした。これには家族や職場の皆さん、それに患者会等を通じて知り合った多くの友人達からのサポートがあったからこそで、この場でお礼を述べなければと深く頭を垂れています。
 2009年6月、【あけぼの会】に入会して早いもので12年が過ぎました。入会した時には、まさかこんなに長くお世話になれるとは思っておりませんでした。

何故再発したのか、未だに不明
私は2005年2月(43歳)に手術、その後3年せずに再発しました。乳がん検診は職場で毎年受けていましたが、検診の合間に自分でしこりを見つけました。
 最初は最寄り駅近くの婦人科クリニックを受診し、その場で地域の中核病院の外科を紹介されました。2004年11月のことでした。
それ以降、年末まで色々な検査が続きましたが、結果はグレー。年明けにどうしても逃げられない仕事があり、腫瘤くりぬき手術を行い、悪性でなければそれで終わりにしたいと1月中旬に日帰り手術を行いました。
 良く見つけたね、と言われたほどの1㎝弱の大きさでしたが、病理検査の結果、悪性と分かったため、追加切除の温存手術が2月初頭になりました。リンパ節転移もなく、ステージ1の早期診断でした。仕事や家事で多忙であったため、遠くのがん専門病院や有名な乳腺外科を受診するという選択は取りませんでした。
 担当医師からは「手術、放射線と今やれることは全部やった。これで再発した人はこの病院ではいない。」とまで言われましたから、自分では治る気満々でした。
 ノルバデックスの副作用からか卵巣嚢腫になり、乳がん術後2年が経った春、開腹手術を受けました。その後そろそろ職場復帰といったタイミングで胸骨の痛みが出始めました。これこそが再発の兆候でした。けれど、経過観察の採血等では全く異常なし。秋口になってようやく腫瘍マーカーが上昇を始めたのです。結果として3年経たずして縦郭リンパ節・胸骨・鎖骨・両肺の多発転移が分かったのは翌年の1月のこと。その時には、「ちょっと解せない・・・」と主治医も首を傾げたほどでした。
 ただ一つ気になったことと言えば、私はHER2強陽性でしたが、初発当時、ハーセプチンは再発治療のためのもので、初発術後補助療法としては保険適応ではありませんでした。また「毎週点滴に通う必要があること、いつまでという(今では3週に1度の17回、1年間)期限もなく、一旦始めたら止め時が難しい、仕事に復帰するにはハードルが高いのでは」という主治医の助言もあり、経過観察とホルモン治療(ノルバデックス)になりました。
もしこの時、ハーセプチン治療をしていたら、という思いがないと言ったら嘘になりますが、当時の状況では、それは無理だったように思います。その後、再発する迄の間は、3か月に一回程度の経過観察のための検査、ノルバデックスの内服以外は、特に何かを控えるということはなく、普通に暮らしていました。40代になってすぐ、一人息子も少しずつ手がかからなくなってきた働き盛りの年齢でしたから、仕事は、質量とも結構厳しい状況にあったと思います。
 乳がんになった原因を考えてみると、私はお酒もたばこも一切やりませんし、多少の好き嫌いはありますが、野菜はよく食べますし、肉よりは魚が好き。偏食というほどのことはありません。そうなると、やはりストレスが一因だったかと。発症当時を思い返すと、精神的には女性のきつい上司と年上の面倒な部下たちの間に挟まれ、肉体的には残業も続き、年末年始も出勤するほどの忙しさでした。公私とも全体的にストレスがなかったとは言えません。まあストレスだけが発症の原因ではないとは思いますが・・・。
再発した時には、当時の主治医(外科医)に「抗がん剤が効けば数年の延命は十分期待できる」と言われ、これは長い治療になると思ったことと、再発治療は化学療法が中心となるだろうと、専門性の高い腫瘍内科医(当時、がん薬物療法専門医は全国でまだ100人ほどしかいなかった。今は1,400人を超えている。)を求め、セカンドオピニオン、サードオピニオンを頂き、今の病院に転院、現在に至っています。

再発後13年半、悔いはない、充実の一日一日だった
 私はがんに罹患した後、特に再発した後は、常に「心穏やかに潔く、精一杯生きる」と自分に言い聞かせ、いつ命が終わりになっても納得出来るように、という生き方をしてきましたので、後悔することはありません。一瞬一瞬を無駄にせず、大切にして生きてきたつもりです。再発もこれが私の運命と受け止め、耐性がついて度々変わる抗がん剤にも臆することなく立ち向かい、とにかくその時その時を必死で頑張ってきました。自分で自分の命を守って、ここまで生き延びた、と言ってもいいと思います。
 限られた貴重な時間を夫と息子、そして、母、友と仲間たちと過ごし、どんなにしんどくても仕事を続け、定年間近まで働き通してきています。何より嬉しいことは、今のところ母より先に逝っていないことです。この後のことは神のみぞ知るではありますが、もしかすると逆縁を避けることが出来るかもしれない、と思えるようになっています。
 私とは性格が似ても似つかない泣き虫の母を悲しませることはしたくありませんでした。これからも母と共に命を繋いでいければと願っています。

最後までお読み頂きありがとうございました
 計6回に亘り、私の5年間にわたる治療経過とプライベートな出来事について書き連ねてまいりました。ほぼ1年ごとに治療薬を替えながらも、大勢の方たちに支えられ何とか仕事を続け、来春には定年退職を迎えようとしています。
 2016年、半年かけて取得した瞑想ヨーガ指導者資格を活かし、もし出来たらいいなと思っていた講師を務めるという夢が、某患者会とのご縁で叶い、私としては“決して悪くない人生だ”と思っています。
 これからも心穏やかに潔く、精一杯生きていこうと思います。最後までお読み頂き、どうもありがとうございました。(了)

*Myブログ「ロッキングチェアに揺られて」←クリック