この世に、見たくない、聞きたくない、そんな言葉があるとしたら「がん」というニ文字がその筆頭でしょう。

誰もが自分と無縁であってほしい、と心の中でねがっている。絶対に自分の身には起きないと確信している人もいます。にもかかわらず、がんはある日突然やってきます。無縁であったはずのがん。

「えっ、まさか、何かの間違いでしょ」

大半の人が医師に告げられた瞬間、頭が真っ白になり、その後のことを一切覚えていないといいます。どうやって家に帰ったか、電車に乗ったか、タクシーだったか、病院と自宅の行程がすっぽりと記憶から消滅しているのです。そのくらい、がんを宣告された時の衝撃は唐突で強烈なのです。

ですから、あなたがどんなにうろたえたとしても、また心の中で必死に「そんなはずはない」と否定し続けたり、すぐに家族に打ち明ける勇気が出なかったりしたとしても、それは至って自然の反応で、少しもおかしくないのです。もしも、少しもうろたえない人がいたとしたら、そのほうが不思議といえるでしょう。

私は今から26年前、37歳の時に乳がんの手術を受けました。今はすっかり元気になって、自分ががんの経験者であることを忘れているくらいですが、当時は大変な動転振りでした。それでも乳がんは早期であれば助かる、という知識はあったので、一刻も早く手術をして、がんを体の外へ取り出してもらわなければ、と大いに焦りました。手術で本当に命は助かるのか、私は死にたくない、まだ子供も小さい、やりたいことをやっていない、など次々と考えるとたまらない気持ちになっていきました。

入院もすぐにはできないので、待つ間の日々が拷問です。でも待つしかない。

電話がジリーンとなると、受話器に飛びついたものです。そうして、ようやく入院できた。あのホッとした気持ちを今でも覚えています。もう一人で悩まなくてもいいのだ、というあの安堵の気持ち。不安でカチカチになっていた体が一瞬にして、あたたかい毛布にくるまれたような、そんな安らぎでした。

入院まで漕ぎつけば、まずは深呼吸して。本番はこれからです。