「細胞診の結果は5、よって、がんです。それもあちこちがんが散らばっているから、全摘します。10年生存率は○○%です」

検査のために行った病院で、いきなりズバリと宣告されて、大いに戸惑った。時間がたつに連れて、腹が立ってしょうがない。こちらがたずねてもいないことまで一挙に教えてくれなくてもいいのに。10年生存率なんて、今は言われてもどうしようもないし、だから何だ、というのか。パーセントなんて聞いても役に立たない。

この人は電話で「こんな病院へ戻りたくない」と言ってきたのです。そうですね、これはひどすぎる。繊細さに欠けるのです。患者はみなどんな結果が出るのかと、不安で胸がはちきれそうになっている。そこへいきなり「がんです。全摘です。10年生きられるかどうかわかりません」みたいなことを告げられたのでは、自分の足で立ち上がって診察室をおいとまするのがようやくでしょう。

このように平然と<がんの告知>をするのが最近の風潮です。一昔前までは本人に直接告知をすべきか否か、大変な議論になりました。賛成派反対派に分かれて、まさに喧喧轟々の終りなき戦いでした。私はどちらかというと、反対派。聞きたくない、と耳を抑えている人の耳元に口を近づけてまで告げる必要はない。

また、がんという病名を告知するのと、余命の宣告、即ち、あとどれくらい生きられるかを宣告するのは別のこととして分けて考えてほしい、と主張していました。右派とか保守派とか、少し軽蔑気味にいわれたものです。

今でも根っこのところでは考えは変わっていません。全面告知はアメリカあたりの真似ですが、あの国ではありのままを患者に知らせていないと訴訟問題になったときに、医療側が敗訴するケースが多くなって、それで変わったと聞いています。

日本でも、がん告知に絡んだ訴訟事件がボチボチ起きていますが、そんな訴訟から医療者が身を守るためというよりも、配慮も思慮もなしに何でも言ってしまったほうが楽なので、患者の気持ちなどお構いなしにやっている、というように私には見えますね。

ドンと「丸投げ」されても困る患者がまだまだいるのが日本の現状なのです。