事務局のある7階建てビルのベランダから目黒川の桜が一望できます。花びらが開きかけていた頃に日本を出て、2週間後に帰国。この間に散り果てているでしょうと諦めていましたが、なんとほぼ満開状態で私を待っていてくれました。これで今年も思い残すことはありません。

 がんのあと、桜の花が向こう一年生きられるバロメーターのように感じるのは何故でしょう。私は27年前の2月に手術・入院して、退院すると間もなく桜が開いて、それを見ると知らず知らず涙があふれ出てきました。命拾いをして生きている喜びが桜の花の清楚な命の中に映し出されるのか。とにかく身震いするほどの感動でした。他の花ではそれほど鋭い感動は湧いてこないのに。

 桜は去年も咲いて、今年も咲いて、来年も咲くから、命のつながりがあるからでしょうか。誰もが「来年もまた生きて、この桜を愛でることができるかしら」というセリフの通り、桜は一年の命を確約してくれる自然界の使者なのでしょう。

 さて、サンフランシスコの息子は腕だけで済んで、ギブスをしながら仕事も少しずつ始めさせてもらったのを見届けて、安心して帰ってきました。息子は大器晩成型、と信じていましたが、既に「晩成」の年齢になっているのに何もかも「オットリ型」で、A型人間の私はいっしょにいるだけで、何度も呼吸困難に陥る始末。

 例えばです。税金の申告でも締め切りが何日でもかまわずに書類が届くとすぐに書いて、受け付け開始の朝一番にタクシーで提出しに行くのが私。一方、彼は締め切りに間に合えばよい、まだ日にちがあるのになんで急ぐのか、とのたまって、書いてもいない。出勤時刻が迫っているのに、風呂場から出て来ない。私は外で包帯を持ったまま(ギブスの上に巻きつける)、早く出てくれないと遅刻する、とイライラ。しかし、風呂のドアを蹴破ったりすれば、お互い気まずくなるので、じっと忍の一字でドアをにらんでいる。こんな時、今日こそ、絶対に親子の縁を切ってしまおうと真剣に決意するのです。

 私のせっかちは有名で、あるとき、品物に請求書を付けて送るのに、ついでに領収書も付けた、という人。だって、どうせ、お金が着いたら送るものだから、送ってしまえ。気が早いというか、焦り性というか、なんでも早めにしないと落ち着かない。あるとき息子を成田に見送るのに、本人より先に家を出たという人。これは滑稽の極み、全くの無意味。でも飛行機に乗り遅れそうで、気が気でなくて、じっとしていられなくなるのですよ。

 どうして母親のこのせっかちの血が息子に遺伝しなかったのか、本当に不思議でなりません。父親の血も多少入っていたんですね。帰国して1週間、やっとマイペースを取り戻した会長さんでした。

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