暑い。日本列島が湯立った釜の中で連日煮えたぎっている。私は毎朝、養命酒のたぐいをのんでいますが、その壜も中身もあったかいので、壜をつかむたび、思わず手を離してしまう。夜間も明け方も気温がほとんど下がっていないのです。

 こんな大気現象の中で、どうしてクールに原稿など書けるものか、いや書けない、と口の中でぶつぶつ唱えながら、一日一日先送りして、また遅延してしまいました。熱さで脳が溶けて、思考の焦点が絞れない。 こんな暑い‘海の日’なんかには、がんのことなどしばし忘れて、私の人生哲学の話でもしたくなる。

 あけぼの会では来月8月末から9月4日までシンガポールで開催される「第2回乳がん患者アジア大会」に参加するよう、実に年明けから会員に募集をかけてきましたが応募者が20人と少なかった。そこへある製薬会社が支援金を出してくれることに決まり、全国支部長にその旨知らせると、ボチボチと増えて、今60名を越えて、打ち切りました。

 支援金が出たから参加に決めた、ことはよいこと。でもそれも、だれかれが行くから、あわてて私も私も、という人が多かった。「連なり型」なのです。いやですね。自分の意思で決断できないなんて、大人といえない。

 しかし、日本人はすぐ周りを見渡して「人もすれば、自分もする。人がしなければ、自分もしない」。現に最初、申込んでいた人が中途でキャンセル。「もっと大勢行くのかと思ったので申込んだのですが・・・・」

 自分が行きたければ一人でも行く、という人にならなければ、ですよね。がんというような病気を体験しても、まだこんな寝言を言っているなんて。あの孤独と恐怖に打ちのめされそうになった自分との闘いに勝って今日も生きている私たちだったはずなのに。

 人は人、われはわれ。手術を受けるとき一人で手術室に向かった。そして、死ぬ時もあの時と同じ、誰も付き合ってなんかくれない。一人、ストレッチャーに乗せられて、みなに見送られて、手術室の入り口の境界線で、向こうからの迎え人に引き渡された、まさしくあの光景の再現であるはず。

 小学校にあがって間もない時、運動場で行進をしていた。すると、先生が号令を出して「ぜんたーい、止まれ」。急に止まると、前列との間が開きすぎたりする。それであわててチョロチョロと、前に詰める。私は動かなかった。止まれ、のあとは動いてはいけない。みなが詰めるので、後方にいた私は一人、前がかなり開いたままポツンと立っていた。私は間違っていない、だから動かない、とそのころから自分の信念を持って立っていた。百万人行けども、われ行かず。

 50、60近くなっても、がんという人生哲学を体で会得する貴重な体験をしても、まだ、進むのか、止まるのか、自分で決められない人がいるなんて、情けない。

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