今朝ほど、朝食のテーブルで「人工呼吸器、付けるかどうか、今の内に決めておいてね」と恐喝する妻に夫はだんまり。付けるのかなあ。付けて、何年も生き延びている人がいると聞く。そこまでして生きようとする執念はすごい。支える家族はもっとすごい。私だったらどうするか。付ける付けない付ける付けない、決められない。人間はどんな形になっても息をしている間は生きるべきなのか、それとも安楽死か、尊厳死か。犬を一匹、安楽死させると決めても、かわいそうで、また家に連れ帰ったりするのに、人間の命となれば、もっと迷う。
朝は即答を避けた夫は午後になってベッドで休んでいるときに、「リビングウイルわかるでしょ、すでに書いてあるけど、余計な(無意味な)治療はしないでほしい」 それだけ言うのに声を詰まらせている。「余計な治療」って、人工呼吸器のことなのか。「わかりましたよ、適当にやりますから私に任せて」 と茶化す。よく考えてみれば、何も今大急ぎで決めなければならない事項でもないのに、私はそんな意地悪を言って弱いものいじめをしている。
感情が不安定になるのもこの病気の特徴の一つという。涙っぽくなったり怒りっぽくなったりふさぎこんだり――コントロールが利かない。突然、「あの時どうしておいてきてしまったか、私はバカだった」と、泣いてタオルを目に当てている。何のことかと問いただせば、彼が仕事ではじめて日本に来た1964年に私たちの運命の出会いがあって、その2年後に任期を終えてイギリスに帰ったのだが、そのときの別離を思い出しているのだという。そういえば、二度と生きては会えないような別れかたで、彼は去っていった。
[ 置き去りにされた女は28歳。泣いてばかりいるのも悔しいので、すぐに仕事をやめ、アパートも引き払って、話せば長いストーリーでございますが、オーストラリアへ行くことに。まあ、どこでもよかったのですが、狭い日本よ、さようなら、広い荒野の国へ行く、と選んだのがオーストラリアだった。しばらくは日本には戻らない覚悟で、映画のヒロインになった気分で、羽田空港から飛び立った(当時はまだ成田空港はできていない) 題して 「傷心一人旅」 ]
「でも、来てくれたからよかった。そうでなかったら、サンディもジェニファーもこの世にいなかったのだから」などと言い出す。彼の頭の中でストーリーが一挙に飛躍しているが、結局あの別れは永遠の別れにはならず、私が6ヵ月後にイギリスへ渡って、二人は再会した。そのことを回想している。「リラだって、いなかったのよね」と私。自分の血が孫の代にまで継がれれば、それだけでも千金に値する生きた証、ではないのですか。
「リビングウイル」の話から、偶発的に昔の出会いのときを思い出して、人と人の出会いほど不思議なものはないとつくづく思う。だから、私たちは東京で出会い、一度は別れ、そして再会し、そして結婚し、今は最後の別れの準備をしている。いっそ会わなければなかった別れ。そんなこというなら、いっそ生まれなかったらなかった悲しみ苦しみ。でもそれを言ってはおしまいよ、生まれなかったら、どうするか。
さきほど、蜂蜜の瓶に入った蟻んこをひと思いに殺してやろうとフリーザーに入れてやった。蟻を殺すに刃物は無用。この発案は私の特許です。その蟻んこのような一生はいやでしょ。やはり、人間に生まれたことに人は無条件に感謝すべきなのです。この世に生をいただいて、あの日あの時あの場所で会えたからこそ、家庭を築いて、よい子達にも恵まれて、今日まで生きたのでしょ。運命とは心憎し。だから、何度でも、演歌のように、唱和しましょう、生まれてきてよかった、あなたに会えてよかった。