息子がサンフランシスコから成田経由でバンコックへ着いたのは夜中の1時近かった。長時間のフライトでかわいそうと思ったが、先日私が成田から飛んだとき、隣の席のアメリカ女性はシカゴからサンフランシスコ、成田、そしてバンコック、それから最終目的地のダッカまで一挙に行くのだといって笑っていた。どんなときも上には上がある。息子に同情するのは、やめにした。

 彼を迎えに行くのに家を出たのが夜11時(私は9時には寝たいのに)。タクシードライバーにエアポート、プリーズというと、どうして荷物を持っていないのか、とタイ語で聞く。人を迎えに行って、また戻るので荷物はないのよと答えると、また戻るなら駐車場で待っている、駐車料金は1時間40バーツだが、という(そう言ったようだ)。人のよさそうなドライバーに突如親しみを感じて、この人の言う通りにしようと思った。地獄で仏、もう何も自分で考えるのが面倒くさくなった。

 飛行機は35分遅れで到着。ドライバーがどこからか現れて荷物を運んでくれるので、息子は信じられない顔で私を見る。そうよ、私のお抱え運転手なのよ、と驚かせてやった。私だって、世が世なら、お抱えニイチャンの一人や二人いてもおかしくないのだ。息子は12月に父親にロンドンで会っている。しかし、この一ヵ月の間の急変は想像できないだろう。車内で警告した。「びっくりしても顔に出してはだめよ」

 彼は仕事をやめて、これからはべったりと父親の介護に当たる。将来のある若者が実父の介護とはいえ、仕事までやめるのはどうかと思うが、長期休暇を取ってばかりもいられないのが主なる理由。それに、男二人で決めたこと、他者の介在を許さない。この先、何ヶ月(のように私には見える)間、父親と寝起きを共にして、会話して、お互い悔いのない別れの時を迎えてほしいと祈っている。

 この人生経験は社会的には価値のないものでも、彼にとっては他では学べない人生勉強、ライフレッスンになると、私はよいように解釈している。今まで何の苦労もなく障害もなく、甘いお母さんがお小遣いをこっそり送ってスポイルし、とにかく、苦労知らずの人生だった。これからのきびしい展開は、父親が息子に残す最高の財産になるのではないか。父親からなんでもありたけ受け継いで人生の肥やしにしてほしい。

 彼は侍従医みたいに朝から食べ物飲み物を処方する。水は一日4リットル飲む。野菜果物を買ってきて、ALSカクテルを作って飲ませる。パセリ、イチゴ、人参、かぶ、りんご、セロリ、そこへにんにく一片とアロエを加えてジューサーで攪拌(実は常習サプリメントも5,6種砕いて混入している)。グリーンでもイエローでもない不気味な色。どろどろしていてジュースと呼べるか、首を傾げたくなる。彼が来るまでは、インチキ(ちょっと蜂蜜足したり)して、自分の飲みたいフルーツジュースを作って、病人にも飲ませていた。まずいものなど、見るのもいやです。

 病人は三日前から右ひざの痛みを訴えている。痛くて力が入らないのか、ひざががくっと折れそうで、歩きがさっぱりおぼつかない。先ほどお手洗いでバランスを崩して半分倒れてしまった。私とピペが抱きかかえているのに、恐怖で叫び声を上げる。侍従医の出番だ。「半分しか倒れなかったのは全部倒れたのとはまったく違うのだから」とALS参考書から引用して、慰める。しかし、このあと遂に、家の中でも車椅子に乗りたいと自分で言い出した。