今回バンコックへ来るために目黒区東山のマンションを出るとき、夫の部屋をつくづくと眺め、夫がもう再びこの部屋に帰ることがないのだ、と胸が詰まった。かわいがっていたシンチャン、ジロー、キティたちにさよならも言わないままのお別れ。私の胸の痛みがわかったように3匹が揃って寄ってきて、私をじっと見ている。胸が更に痛くなって息がつけない。わけを言って聞かせたくても、キョトンとしていて、ひたすらいじらしい。マンションから池尻大橋の駅に降りる坂道も、駅の階段も、そして改札口も、渋谷行きのホームも、もう彼は通ることはないのだ。
がんの末期などで入院する人たちはどんな思いで自分の家を出るのだろう。まさか、最後とは思わずに普段と同じように玄関を出る人と、これが見納めと、名残を惜しみながら出る人と二通りいるだろう。あけぼの会の会員に、隣近所に最後の別れの挨拶をして出たという人がいたが、こんな冷静な人は例外だと思う。いずれの場合も憐れ。
死出の旅は一方通行で後戻りはできないのだから、辛い。夫はもう、有無を言わさず、死のレールの上に乗せられて、レールが動くままに、身を任せている。
仕事柄、私はこれまでに何度か、末期の人を見てきた。最後のお見舞いに行って、「じゃあ、また来るから」と空々しく嘘をついて、でも、心の中で手を合わせて拝んで、部屋を出る。本当は、本当の話をしたいのだ。「これでお別れね。あなたは最後まで立派だった。あなたと知り合えて私は幸せだったのよ。私もやがて行くから、先に行って待っててね」というような話がしたい。そして、手を握ってお別れがしたいのに、まだしたことがない。
死にゆく人は死がそこまで迫ってきていても、自分ではわからないのではなかろうか。だから、これで最後のお別れとはこちらからはいえない。よしんば相手のほうが言い出したとしても、何言ってるのよ、と否定してしまうだろう。だがら言えたためしがないのだ。
夕べ遅く娘がイギリスへ発った。彼女は絶対に父親を国へ帰してあげたいという信念で動いている。特に昨日夫を診察したドクターが「タイにはALSの専門医がいないし、必要な器具も揃っていない、だから一刻も早く本国へ帰らせるべき」と言ったそうで、信念が確固たるものになった。私は介護担当なので、相変わらず、ここにいれば洗濯物がぱっと乾くとか、夏物パンツ一丁で過ごせるとか、メイドのピペがいないとダメとか、果物が無限に豊富とか、日本と往復しやすいとか、実生活的な観点からしか見ていない。
娘と息子チームは治らないとしても現状を維持できるはずだと真剣に画策している。夫が気落ちして、世も末という顔をしていると、「病気が病気だから、気が滅入るのも仕方がないわね」と私。「何を言ってるの、絶対生きるのだというポジティブ思考でなければだめでしょ」と愛のムチを打つから、たまげてしまう。夫はこのチームのおかげで命拾いしているようなもの。病人を殺してかかっている私はもはや戦略外なのでございます。
娘は寒いイギリスへ全権隊で乗り込んで、病人が戻って住むバリアフリー・マンションの様子を見に行った。まだ何も当てがないので荷が勝つ任務なのに、信念に燃えているから、ものともせず、見送る全員一人ずつをやさしく抱擁して、手を振って、スマイルで、旅立っていった。