夫は、私がお経のように日に一度は聞いているCD「冬ソナ」をずいぶん気にいって、自分用コピーを作って(これって法律違反でした?)自分でも聞いている。もともと音楽は彼の生活の一部で、起きている間はいつも何かしらミュージックがあった。今も夜通しポータブルプレイヤーでCDかけっぱなしで寝ている。子供たちが次々と差し入れCDを買ってきて、全部聞き終えるまで生きているのかしら、と私はその多さにあきれている。大半が癒し系ミュージック、眠くなりそうだが、癒しが必要なのは私なのよ。

 先日、夫が元気なとき通い詰めたコンピュータービルと呼ばれる5階建てビルに行ったときのおはなし。そこにはありとあらゆるコンピューター関連グッズを販売する小売店がひしめいていて、差し詰めタイ版秋葉原。中にDVD専門店もあって、そこには分厚いDVDジャケットカタログが置いてあって、そのナンバーで注文する。1枚2枚なら口で頼めるが、枚数が多いと、紙と鉛筆を渡してくれる。夫はイスに座り込んで嬉嬉として選択を始めた。

 彼は映画も好き。まあ、大体の人は音楽も映画も好きなので特記することはないのだが、買う段になると突起している。そのときもなんと42枚もピックアップした。もちろん買うために。海賊版なので安くて1枚100バーツ(300円)、しかし、40枚ともなると万がねになる。ケチな私はまた、全部見るまで生きるつもりかしら、と日本語で小声で言ってしまった。かくいう私も負けてはいず、池尻大橋のオレンジキャットで先日、白黒クラシックDVDを15枚も買ってしまった。一枚500円。私は厳選して買っているのに、夫は「手当たり次第」というスピードで選んでいるように見える。

 そして、選び終えると娘と二人で一階上にあるもう一軒のDVD屋に行ってしまった。私は42枚が揃うまで待っている役。ケータイで地下室倉庫番に番号を伝えると、そこで揃えて持ってくるシステム。はじめ15分待ちなんていったのが、倍の30分経って、ようやく「30枚は見つかったがあとは見つからないから」と、先払いしてあったお金と一緒に30枚を渡してくれた。30枚本当にあるの、わかったもんでない。疑り深い私は改めて数えなおし始めた。20枚まで行って、あと10枚を手に持ったその瞬間、なぜか、目の前のカウンターにあった私の20枚もカタログもさっと消え去っている。

 空気がひんやり、黙祷でも始めるのかみなだんまり、ニイチャンたちの顔が引きつっている。次の瞬間、男が私の手にあった10枚をもぎ取って、「やい、日本のおばさんよ、あんた、これを買ったのね」とタイ語で聞く。「ノーノーノー、ただ数えていただけでございますよ」と作り笑いをしている私。彼は冷ややかな氷の表情を変えない。(わかった、この人私服検察官だわ、私逮捕されるのだ)やっと現実が見えてきた。映画の中のクライマックスシーンに私がいる。セリフもなかなかいい。

 検察官はすべてお見通し、こんな芝居は何度も繰り返しているのだ。カウンターの中には山ほど海賊版があるのに、目に見えるとこになければ無実というおかしな法律。私も初犯で善良そうなツーリストに見えたので、逮捕は免れてしまった。そして、一瞬のドラマは終わった。私は思わずイスに座り込んだ。日本の恥だわ。すると、タイニイチャンが来てやさしく慰めてくれる。「あなたには関係ない、大丈夫」といいながら。何が大丈夫なのよ。

 そこへゆっくりゆっくり歩行器で、もともとの注文ぬしが戻ってきた。このドラマをどう説明すれば、より大げさに、よりドラマティックに伝えられるか。「あんたたち、私、大変だったのよ、みんなあんたのせいなのよ、私が逮捕されて投獄でもされて一生日本に帰れなかったらどうするの」夫と娘は「あけぼの会の会長さんがタイでタイホ」なんてニュースが流れたらタイヘンね、と顔を見合わせて笑っている。私、悔しい。

 珍劇は終わって、さっと隠して没収を免れた20枚は買えたが、あとの10枚は諦めなければならなかった。大体、大事になった根源はといえば、人を疑ってかかる私の狭量なる精神にある。人様を信じて、数えなおしたりせず、ありがとうの一つも言っていれば、大事に至らなかったのに、1枚2枚とごまかされてないか確かめるいやな私の習性こそが恥。
(しかし、タイのローヤは冷房あるのかしら)