目黒川沿い7階にあるオフイスの窓から眺める満開の桜、その豪華絢爛さは息を呑む。欲張りの私は全景を独り占めしたい。今年も生きて桜の花を愛でる幸せよ。桜はどうしてこのように命の芯を揺さぶるのだろう。他の花にはない神々しさ、神霊の美。29年前、がんのあと始めての春、桜を見て涙したことを思い出す。病める心と体をやさしく包んでくれた。「来年も生きて桜を見られるか」が、大半のがん患者のバロメーターになっている。

 「願わくば花の下にて春死なん・・・」の下の句が、夕べからどうしても思い出せない。詠み人も藤原定家、本居宣長、後鳥羽上皇とか、出たらめな名前しか浮かんでこない。どなたでしたっけ、受験生のみなさん、教えて。桜吹雪の中で死ぬのもロマンティック、と今、体力精力気力のない私は人生面倒くさくなっている。ロンドンで思い通りにならないノートパソコンを、窓から捨ててやりたいわ、と叫んだら、子供たちが「マミー、高いんだから捨てないでね」とまじめな顔で言うので、思い直して捨てなかった。

 シンチャンは月曜に3回目の水を抜いてもらったが、今日まで4日間、液が出っ放しで、生理パッドを当てて長めのタオルでしばっている。出ることで楽になるみたいだが、実は徐々に溜まりかけていて、また抜くのかと心が痛む。大体、終日横になって寝ていて、大きな体全体を揺らして窮屈そうに息をしているが、たまに静かになると、死んでしまったのかとあわててゆすってみている。

 ロンドンから電話が入った。夫がトーキングマシンを貸してもらったそうで、試してみたいという。それで「元気?」と日本語で聞くと、機械が日本語にも変換できるらしくて「ハイ、元気です」と答えている、と息子が機械の通訳をしてくれた。会話が以前より自由に出来ることを喜んでいるという。それと週一回はあのキューリー夫人ホスピスの3階にあるジムへ通って自転車のような機械で足の運動をしている。座ったまま足で漕ぐと、コンピューターが何キロ走った、と数字を出すだけでなく「左足は機械に頼って自分の力ではない」なんて運動成果が言葉で出る。とても気に入って、自分で買いたいと言い出した。ドイツ製のその機械は高くて3000ポンド、ざっと600,000円。

 死ぬと決まっている人のお金なので、ヤケクソで買えないこともないが、週一回外へ出ることは本人だけでなく、みんなのためにもいい。家の中で座ったまま、今日は何キロ走った、なんて言われるのも不気味。これも送迎付きなのだから、本当にすみません。ただ朝夕45分間来てくれる介護の人たちが少々頼りない、と息子。「ああいう仕事をする人はそういう人たちなのだからしかたがないのよ、というと、「そうだよね」と納得した。

 彼はシンチャンと佐渡のおばあちゃんが気がかりで仕方がない。「そっちへ戻る来月20日ころまでに死んでほしい、とても置いていけないから」「僕が日本に帰って面倒見るよ、おばあちゃんにも会いたいし」「じゃ、交替でそうしようか」気分転換に、一度サンフランシスコへ帰らせてあげたかったが、日本はふるさと、友だちもいることだし、第一シンチャンが喜ぶ。おばあちゃんもサンディが大好きだし、交替はなかなかのグッドアイディア。