ロンドンのバスは前にも紹介したが、どのバスにも車椅子対応の台が後部ドアの下に付いていて、運転手はボタン一つで出し入れしてくれる。パリも同じ。こういうシステムにかかるお金は膨大と思われるのに、国民の税金を惜しみなく投入している鷹揚さには感心させられる。日本は福祉に関しては全くの後進国ではないか。バスの乗り降りは息子が手で押すが、平坦な道は病人が自分で運転、この時とばかり猛スピードで走る。日ごろの欲求不満をスピードで解消させている。徒歩組は後ろから走って付いていくのに必死。
狭いドアでも上手に角度を計算して車椅子を出入りさせる。運動神経が完全に死んでしまう病気なのに、運転頭脳は少しも衰えていないのが不思議。ビッグベンが前方に、ロンドン・アイが目の前に見えるテームス川沿い遊歩道を、心地よい川風を顔に受けながら端から端まで歩いて、おなかが空いたので、イタリアンレストランのテラスで食事をした。病人にはガスパッチョスープに娘がフォークで擦り潰したリゾットを混ぜて食べさせて、私たちはみんなでミートソーススパ、アンチョビピザ、シーフード・リングイニ。
食後、夫は息子とビルの中に入っていってCDを30枚買って出てきた。私はすぐにバンコックのあの珍劇を思い出して一人で笑っていた。30枚全部聴く時間なんか残っているのだろうか。本人は頓着していない。家に帰るとすぐに新着CDを一枚ずつパソコンに入れているが、手が動かなくてジャケットから出せないので私が少しお手伝い。音楽好きというか、ジャンルは何でも、好んで聴いている。ベッドで一晩中、CDを掛けっ放し。ジョニーキャッシュが第一、次にエディットピアフのシャンソン、あとはクラシック、カントリー、ファド、沖縄の「花」でも何でも。
遊歩道からバス通りへ出る一角のアスファルトが凸凹していて、車椅子ががたがた音を立てて上下して、夫の上半身も上下にがたがた揺れた。それがたまらなく愉快そう。みなで、もう一度戻って始めからやって見せて、と囃し立てた。少し躊躇った後、方向転換した夫はそれはそれはうれしそうに顔をほころばせて、がたがたドライブを再演して見せた。みなが手を叩くので、恥ずかしそうな顔もしたが、満面笑みのハッピー顔。あんな笑顔は見たことがない。目に焼き付けておかなければ。娘がビデオカメラに収めている。
14日、妹が3泊4日の滞在を終えてロスへ帰るので、ヒースローまで見送りに行ってきた。ミニキャブの運転手がハイウェイが混んでいるから遠回りするので余分に払ってほしい、と言い出したので、時間はたっぷりあるからその必要なない、と取り合わなかった。それなのに、遠回りしながら、あんたたちはどこへ行くのか、と聞く。妹はアメリカと答えて、私?私はここに住んでるのよ、と言ってやった。真実ではないが全くの嘘でもない。すると、これは怖いオールドレディと気付いたか、急におとなしくなった。脅しも時には必要。
ワット家は安泰に聞こえるだろうけど、そうでもなくて、このあと次々と波乱ドラマが起きて、息子と娘が替わりばんこに家を飛び出して、それを見た夫は泣き出す。間に入った私は柄になくオロオロして、日本においてきた二匹の猫に会いたくなってきた。