「新年明けましておめでとう」と元気よく書き始めたいところ、祝賀の気分になれなくて困っている。ここの生活にほとほと疲れて感情が凍ってしまったみたい。鏡に映る顔は情けなくだらりんと締まりがない。これが私なの? 娘とけんかして一日口をきかなかったり孫を叱り付けたり、我慢が効かなくなった。理性欠陥・感情むき出し人間になっている。もともとこの気はあるので、それが100%出ているだけの話。息子が見かねて連れ出してくれ、マミーは3週間が限界だね、と言って笑っている。今日で3週間と3日目。

 思い切りぶーたれていたら、なんとたった今、日本から大きな小包が届いた。えっ、誰から?エスティローダーの鈴木さんから。震える手で開けていくと、出るわ出るわ、日本のお正月!切り餅、漉し餡つぶ餡、きな粉、焼き海苔、玄米茶・・・これでお正月フルコース楽しんでというメッセージね、ありがとう、日本のお母さん! 彼女は私の娘の年なのについそうつぶやいてから、早速、一個四つに切ってラップ・チンして、漉し餡まぶして口に入れる。日ごろ、餅は食べないのだが、今は拝んで賞味して遠い故国を偲んでいる。

 子供たちはトースターで焼いて磯辺焼き党、聞けば、私が家であまり餅を食べさせなかったので、お祭りで焼いて売っていたあの香ばしい匂いを買い食いして知っていたという。所変われば品変わる、佐渡の田舎では餅はみな漉し餡餅と決まっていた。遠い昔、おばあちゃんが手ぬぐいを縫い合わせて作った袋を、上からぎゅうぎゅう何度も押して、漉し餡を作っていた姿を思い出す。煮た小豆をザルにあげて、冷ましてから、手で押し潰して、ザルの目から落ちた小豆汁を袋に入れて漉したのだったか。

 正月の餅は丸餅と細長いのも作って、それは薄く切って細い縄に挟んでだったか、藁をよじってだったか、つないで、竹竿にぶら下げて干して‘かき餅’を作って、コンロの炭火で焼いて食べた。都会では‘おかき’と呼ぶので共通している。コロコロ真四角に切ったものは新聞紙に広げて干してからホーローで炒って、ぼりぼり食べたので‘ボリボリ’と呼んでいた。ああ、思えば懐かしい、田舎の子供のころの奥座敷の縁側風景。その家に90を過ぎた母親が一人で住んでいるのを、ほったらかし。頑固一徹、子供とは同居しない宣言を出しているので手が付けられない。この私の母親、推して知るべし。

 オレゴン州の千恵さんはへこたれないで孤軍奮闘している。解毒療法とか腸内洗浄とか聞いただけで体力消耗の荒療治を繰り返して、今、ご主人は起き上がる力も座る力も失せて、彼女が手を引っ張って立たせているという。こちらは手や指がほとんど曲がったまま、肩から腕にかけて痛みは常時あるので、腕を引っ張りあげるなんか考えられない。夜寝る時やお昼寝時は酸素吸入器を着けたままだそう。それでも歩行器でまだお手洗いまで歩く。こちらは呼吸の問題はないので、酸素ボンベは借りてはあるが使っていない。解毒も腸洗浄も以前試みたが、効果ないと決めてすぐにやめた。

 かくして、世界中のALS患者はそれぞれ独自の自家療法を試みているだけで、ダメになる機能に共通順序もないから体験談も役に立たない。千恵さんのブログのタイトル「ALSなんか大嫌い」だけが共感共通。