「ニュースレター115号圧巻。凄い迫力の闘病記。増える一方の乳がん患者、その患者たちが自分の不安と闘う意志の強さに脱帽。あけぼのの人は長生きですね。本当に意志が強い。あけぼの会は乳がん患者を長生きさせているといえますね。ワット親分の功績偉大」 山形の後藤栖子さん、健在健啖。レターを全国4000人に送っても、彼女のようにすぐに反応を示す人は10人にも満たない、パーセントも出せない少なさ。毎回花の絵葉書をくれる兵庫の会員が一人、他にメールを送ってくれる人が4人。

 「届きました、ありがとう」くらい言っても損はないと思うのに。会費を払っているのだから、いちいち礼を言う必要はないと割り切っているのかも知れない。がん患者会だから中には病状の厳しい人もいるので、そんな人は自分のことで精一杯なのだ。しかし、元気な人が大半なのに、とやはり愚痴りたくなる。始めの内は嘆いていたが、もう慣れっこになって、期待しなくなった。 ひるがえって私が過去に、誰かから何かもらって、何も反応示さなかったことはなかったか、いくらもあったような気がする。

 患者会の会長が毎日事務所へ詰めて何をしているかと怪訝に思うみなさま、私の精力の大半はこのニュースレター作りに注がれております。ばかげていますね、お金を払って、プロに任せる手もあるのです。現に大きな組織の患者会はそうしている。でも、私は頑固に手作り、会員のなまの声をそのまま活字にしたい。私が選んで、少し手を加えて、そうして30年間作り続けてきた。この頑なさは評価されるのだろうか。自己満足の域を出ていないのではなかろうか。最近とみにそう思うようになって来た。

 というのも、今年から独立した13の県を筆頭に、各県支部では今までも独自にミニ・ニュースレターを作って、支部会員に配っている。それが日に日にユニークで立派な出来になって、子が親を凌ぐ勢いなのだ。今まで私にしか出来ないと思っていた自負心、大いなる驕り、あれは何だったんだ。そんな支部長たちも、あるとき、苦労して作って送っても 「着きました」 って言ってくれる人はほんのわずか、と私に嘆いたことがある。反応のなさにがっくり、力が抜けてしまう。よくわかるのだが、「一人くらいはいるんでしょ、一人でも感謝の意を表してくれたら、それでいいとしなければね」と諭すのが私の役目。

 去る5月24日、あの大宅映子さんのご母堂、大宅昌さんが亡くなられた。享年100。新聞で訃報を知って、どうしようかと迷ったが、有名人、映子さんにはファンが多いので、反響大だろうと暫く待って、こっちへ来る前になってようやくオフイスに電話を入れた。「大宅さん、ごめん、もっと早くお悔やみ申し上げるべきだったんだけど、あなたが空くのを待っていたのよ。お花も電報も月並みなのでやめにした、100歳大往生でしたね、おめでとう」「そうなのよ、あんた」といつもの低音で話し始める。亡くなった「当日も流動食ですが、口から食べ、管もなく、床ずれもなし、痛みもなし、本当に眠ったまま逝きました」

 彼女が全国のみなさんの弔意に対して礼状をしたためて送ったのが、私にも送られてきた。見事な筆字、直接関係はないが、彼女はハワイアンソングも上手に歌う。その手紙には亡くなった時の様子が上記のように説明され、葬儀は親族のみの密葬で済ませたことなど名文で報告されていた。最後に「2007年6月、敬具、大宅映子」とサインした上に、ちょこっと 「やさしい電話、心から感謝」 と書き添えてあった。胸がジーンとして痛くなった。やはり心なのよね、一、二、三で思い切って電話してよかった。お花贈るのは簡単、お悔やみ電報送るのも難しくない、でも電話は勇気が要ったのよ。