イギリスの冷たい夏は1週間前の大洪水で始まって、建物の一階部分が完全に水に浸かったまま水面がびくともしない被害地が複数ある。100万の半数の住民が電気、水の生命線を絶たれている、とテレビは表現していたが、完全復活には少なくても2、3週間はかかると言っている。が、水が退いてくれなければ手が付けられない。23日は一日晴天だったが、今日は雨、明日も雨予報。気温も低くて朝13度、日中18度、半袖Tシャツばかり持ってきた先見の明なき私はたった一枚のカーディガンを離せない。背中にホカロン貼っている。

 こんな大洪水は1947年以来だそう。被害総額は日々膨れ上がって、2億ポンドが今や最悪3億ポンドと推定されると言っている。250倍すれば円の概算値。気が遠くなる数値だろう。スーパーで飲み水の取り合いで、70ペンスで買ったボトルをそのスーパーの前で5ポンドで売っている許せない男がいたという。考えなかったが、ぼろい商売、どこにも悪知恵の働くヤカラがいる。今は英軍が飲み水の供給を始めて、一人当たり最低2週間分の飲料水を配布していると新聞に書いてあったが、では食べ物はどうしているのだろうか。

 大都市ロンドンは東京と同じでこのような天災の被害は及ばない。しかし、あのテームズ河の水位も地面すれすれまで上がっていたので、危ないところだったのかも知れない。今日、雨でも何でも郊外のミヨコさんの家に行ってくる。この国で雨天順延していたら、半永久的に順延になるので誰も雨天を言い訳には使わない。今回の滞在中は彼女の家に毎週一回お邪魔して、二人でソーメン作って、寒さに震えながらも日本の夏を偲んでいる。そしてNHKテレビでキムタクの「華麗なる一族」とニュースを見て更に日本を偲んでいる。

 彼女の暮らしを見ていると、この国にすっかり溶け込んで、すべてが安定しているので羨ましい。我が家はそれに較べてなんと不安定なのだろう。スーツケース一つで緊急招集された娘と息子、そこへ日本からスーツケースに食料運んで来たり行ったりの私、その真ん中に身体障害者的病人が一人どっかと座っている。こんな生活が2005年暮れから始まって、まだいつまで続くかわからない。どうすればいいのだ。死ぬなら死んでくれ。チャールスが意味ありげに自分の母親にモルヒネ通常の4倍飲ませて息の根を止めた話をした。

 みなが息子や娘の献身ぶりを見て、また病人の精神的苦痛を想像して、早くケリをつけられないものか、と言い始めている。殺すの?そうは行かないでしょう。「ではあんたがあの状態になったら、生きていたいと思うか」とみなに聞かれる。何とも返事ができない。でもいつかナースが病人に尋ねたように「この世の中に一つも楽しみが残っていないの、たった一つでも喜びを感じることがあるなら、まだ生きる価値がある」夫の喜びは家族の愛の中にいることだろう。負担をかけて申し分けないと感じながらもうれしいに違いない。

 冷夏は冷たくて心の中までひんやりさせる。悲しみが凍って動かない。洪水に浸かった家の中みたい。しかし、人々は生きている。だからワット家ももう少し踏ん張る。娘が執念でここと同じくらいのサイズで家賃が週200ポンドも安いところを探してきた。 9月には引っ越すことに決定。引越しは疲れるので、私は堪忍してもらった。11月まで戻らない。