やっと英国に戻りました、2007年11月1日午後3時。お迎え運転手息子殿の姿が見えない。長蛇の税関審査を30分以上並んでクリアしたあとにうれしい顔が待っていると思いきや、見当たらない。よその運転手が 「Tateishi 」 なんてカードを持ったまま1時間近く立ちんぼしている。私と同じ日本からのフライトで着いたはずの立石さん、ローマ字で書かれた自分の名前を見過ごして、自力で目的地へ向かったに違いない。 「あんたいい加減諦めなさい」と言ってあげるべきか。ここまで来て、他人の世話を焼こうとしている私。

 それにしてもサンディ君、早く来てくれ。ここは英国、上質マナーの国だよ、おっかさん、かんしゃく起こして恥かかないでね。意を決して公衆電話をかけることした。考えてみると私は何度もこの国へ来ているのに、まだ電話のかけかたにも自信がない。成田で換えてきたポンド紙幣をコインに替えてもらって「電話にはどれを入れるの?」なんて新米来訪者のような質問している。 物を覚えようとしないずるい私。 息子は確かに空港へ向かっているのだが、渋滞で、時間がかかっているとの事。 コーヒーでも飲んで気を鎮めよう。

 そうと一旦決めれば、なんと気持ちの楽なこと、なぜ始めからコーヒーコーナーに座って、コーヒーを2ポンドで買って、来るといったのだから来るのだと信じて、悠然と待てなかったのだろう。スーツケース二つとバッグを積み上げた押し車を押して、あちこちうろうろ、老いさらばえたジャパニーズばあさん、みっともないったらありゃしない。私の人生、いつもきっちりかっきり時間通り。時間厳守が美徳とばかりに終生、時間の奴隷だった気がする。人にも期待し自分にも課してきた。少しくらい遅れたって大差ないのに。

 案の定、あれっ早く着いたの?なんて少しも悪びれる様子もない息子は自分もコーヒーを買って飲む。人生、これでいいんだと内心の葛藤を隠すのに必死の母。さて、これからが恐怖、9月に引越しをした新しいアパートへ向かうのだが、いろいろ不自由があるらしい事は聞いていたので、恐ろしい。しかし、もうそこに住み始めているのだから私がケチをつけてはかわいそう。家賃の安いところへ越せば条件も悪くなると世間の相場は決まっている。要は私が口を慎むこと。これが実は至難、というより不可能に近い。

 思えば、2年前の今日、私たち一家はパリで合流して、すぐに夫の異常にみなが気づいたのだった。しかし誰も、当の本人すら異常の深刻さを疑わず、不自由な動きながらパリの秋を楽しんだのだった。懐かしいあのホテルの朝食、ベルサイユ宮殿、シャンゼリゼの散策。非情な日々がすぐそこまで忍び寄っていたことを知らずに過ごした最後の平和の日々、かなわないとわかっていてももう一度だけ、夫が杖をついて歩いていたあの姿を見たい。娘も息子も口に出しては言わないけど、全く同じことを願っているに違いない。

 最近「すべて運命なのよ」と人にいう。夫の病気こそ、彼の、そして私たち一家の運命なのだ。いいじゃない、人生が運命に支配されたとしても。大事なことは運命には逆らわないで、でも運命の波に押し流されないで、悠然と波に乗って生き続けること、おわかり?

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