「母の日」は世界的に5月第2日曜日だと思っていたら、なんとこの国では3月第1日曜日, と思ったら、もっと宗教的で、「英国の母の日は”Mothering Sunday”(里帰りの日曜日)。イースターサンデーから40日前にあたるアッシュ・ウェンズデー(灰の水曜日)から数えて四番目の日曜日となっている」わかります?それではイースターサンデーはいつ?「毎年3月21日以降の満月に来る日曜日」で満月はいつ来る?「灰の水曜日」って?ヤフーで調べてみて。とにかく2008年は3月2日がMother’s Dayとカレンダーに書いてある。

 娘と孫と私、女3代で町に出てランチを食べた。その後、ユニクロで長袖Tシャツを3枚娘にプレゼントしておしまい。私も母なんだけど、日本の母は5月まで待つか。町で同年代の女たちを見れば、この人たちの夫は健康なんだろうな、と思ってしまう。老夫婦が腕組んで、のたりのたり歩いていると、我が家にもあんな光景もあったかもしれないと感傷にふける。でも、もっと若くして夫に先立たれた人もいるんだから、同情買うのは恥ずかしいこと。ただ、病気の夫はいつも頭の隅にあるので、心が100%晴れることがない。

 飛び込みで入ったイタリアンレストランのオーナーおじさんが日本びいきと見えて、日本語をこなして見せた。食事のあと「ゴマンゾクイタダケマシタカ」と来た。日本でも聞かないバカ丁寧語。そこでこちらも負けじとばかりに「モルト・ベネ」(非常によかでした)と返す。帰り際に「マタオコシクダサイ」と飽くなき攻め、こちらも「アリべデルジ」で反撃した。二つしか知らないイタリア語で彼を黙らせてご満悦だった私、等しく自慢したがり屋。あんな場面で張り合うなんて大人げない。でも人生、どんな瞬間も楽しむべし。

 娘の腕の痛みは消えていない。右の上腕、病人をベッドの上で横にするとき、肩と腰に手を当ててぐいと持ち上げる瞬発に使う筋肉が痛い。2年あまりほとんど毎日、それも粗相をしたりすれば日に1回とは限らないので、使い過ぎているのは誰が見ても明白。病人が骨太で少々やせても重さに変わりがないのが難儀。それで、思い切って、ここを離れることに決めた。17日から2週間日本行き。私の帰国は30日、娘たち(子連れ)はきちきちそれに合わせて戻る。まさしく二人が日本から飛んできた飛行機に乗って私が帰る段取り。

 娘の日本行きは私が発つ前に案として出ていたので、事務局のメンバーに「頼みます」と言ってきてある。佐渡のおばあちゃん(92歳)にも会いに行きたいという。リラがベビーの時行って以来4年ぶり。中学の同級生の早苗ちゃんに車で船場まで出て、3里先の馬首の家まで送ってもらうのも頼まなければならない。玉岡さんには渋谷の‘すし三昧’で二人に日本の寿司を食べさせてやって、と頼んできた。私がいないときに日本行きなので、全国のみなさんの親切におすがりするしかない。どうか面倒みてやってください。

 その娘は病人を連れて夕べはお芝居を観に行き、なんと帰りが夜中の11時半になった。帰りのタクシーがなかなか来なかったらしい。特殊タクシーだから電話で予約してあったのに。でも本人はタクシーの窓越しに夜のロンドンをきょろきょろ眺めて結構楽しそうだったという。やはり夫はまだ生のほうに比重があるのか。生きてもいいけど面倒くさい。