日本からさくら便りが届いて東京も満開だそうじゃない。私が帰る頃には散ってしまうのか。所変われば、ここ英国ではイースターホリデー。3月第3週末(金~月)、連日悪天候で雹が降って雪が積もった。市内では車のルーフ程度ですぐに消えたが、北の方では地面に積もっている。真冬に逆戻り。今日はイースターサンデー。ス-パーマーケットもどこもかしこも閉まって町は死んだよう。ヘルパーも来ないので、11時過ぎたが病人は寝かせたまま、一人、静寂の中、ぼおーっとしている。気持ちはまたいつもの沈鬱倦怠厭世絶望。
いつものことだが、駐在3週間過ぎると、自己喪失して口をきくのも億劫になる。こんな無為な時間が私の大河人生の中を流れるなんて許せない。刻一刻すべてドラマのヒロインのような波乱万丈人生だったはず(既に十分波乱なんだけど・・・)。昨日雹が降りしきる中、全員で映画館に行った。「コレラの時代の愛」何ともギスギスした邦題だが、ガルシア・マルケス原作「Love in the Time of Cholera」の直訳。一人の男が一人の女を慕い続けて51年余り、女の夫が死ぬと「このときを待っていた」と無邪気な告白をしてしまう。
病人は館内で車椅子所定位置に付けられてスクリーンを見るや唸り声を発する。喜んでいるのか泣いているのか。観客のカップルが席を立って出て行った。これから始まるのに帰ってしまうのかしら。おかしいと思ったら、なんと反対側の入口から入りなおして別の席に移動したのだった。こういうふうにさりげなく気の使う人にならなければ。私なら、うるせいなー、と聞こえよがしにぼやきながら、見え見えに席を替わるところ。2時間近く経つと、病人が辛そうな顔をするので、肝心の結末は見ないで映画館を出てしまった。
「もうダディは映画は無理ね、あまり関心ないのよ」と息子に言えば、「でも、来ればうれしそうじゃない」と答える。確かにそうなんだが車椅子を連れ廻すのが面倒くさいので、外出はいい加減諦めればいいのに、と暗にほのめかしているのに息子は意に介してない。娘もどこへでも連れて行く。いつ死んでもおかしくない重病人、というレッテルを貼っているのはどうやら私だけらしくて、当人も含めて周りはそうは思っていない。相変わらず昼間ベッドに入れようとすると激しく抵抗する。寝てくれれば楽なのに意地で寝ないのだ。
帰れば30周年記念行事の準備が待っている。「ニュースレター№118」も作って全国の会員に送らなければ。みなさん、首を長くして待っている。何しろ3000人、その内、支部や本部の行事に参加する参加型会員はざっと500、残りは家で静かに便りが届くのを楽しみにしている。だからレター作りは手が抜けない。第一の任務と心得て、全身全霊を打めて取り掛かる。これだって30年続けてきたことだから表彰ものね。私も夫と同じ意地っ張り。
日本の二人は21日から佐渡、3泊もしておばあちゃんをすっかり喜ばせてくれた。年寄りとひ孫は言葉は通じないのにとても仲よく遊んでいたらしい。24日新潟の新津から寝台車で札幌の友達を訪ねて2泊。こちらでリラと同じ学校へ行っていた唯一の日本人一家で昨年9月に帰国した。再会は狂喜ものだっただろう。27日東京へ戻って、30日には成田を発つ忙しさ。日本は楽しくて去りがたいらしい。ゆっくりさせてあげたいが、かなわない。
佐渡のおばあちゃんと記念撮影(2008・3・21)
山本三枝(94)リラ(5)ジェニファー(37)
撮影:田巻帝子(ジェニファーのいとこ)