遂に帰国を決意、19日(月)発、チケットを購入した。日本からの往復切符の片道をパーにしたので、新たに買い直し。片道でいいのだが、なぜかそれのほうが往復より高い。バカみたい。結局、英国発往復を買う。1ヶ月以内にここへ戻るなら、最安600ポンドである。しかし、戻りは病人の残り火次第なので、確定できない。そこで、リターンを6ヶ月先に決め、6ヶ月以内なら変更可能というのにした。760ポンド。これだと緊急でも電話一本で変更して戻れる。変更手数料1万円、ANAも抜け目ない。でも、これが一番賢い策略だ。
こんな複雑な策略を一人で練る私は胃の辺りが痛くて、夕べは布団の中でもだえていたが、今朝起きてみると、不快感は消えていた。ここだけの話だが、去年4月に処方してもらった胃薬を持って来てのんでいる。効いているみたい。「友よ、私はあした去る」を口にすると、にわかに切ない気持ちになった。とてもさみしい。罪悪感もある。しかし、私は日本で社会的責任のある仕事をしているのだから、ここは心を鬼にして、この家に背を向けて、大またで第一歩を踏み出さないといけない。運命の定位置へ戻る時が来ているのだ。
体が二つ欲しい、とはよく言ったものだ。主婦の私と会長さんの私。どっちも全力投球だから、器用なのか欲張りなのか、その両方だろう。病人は日に数回、目を開けるようになった。大きく開けて、部屋の一隅をじっと凝視する。次に視点を動かして、めいめいの顔を、しかも何秒か見ているのだが、表情は変えない。見ているのだが、見ていない。「起きたの?一ヶ月も寝通しだったのよ、冬眠の熊みたいに」と言ってみるが反応はない。また寝入る。それでも、冬眠のあとに目を開けたお顔は新鮮で、新生児のよう仏様のよう。
あのカレンがまた誘ってくれて、土曜の午後、ハムステッド・ビレッジを歩いて通り抜け、お洒落な喫茶店でコーヒーとケーキとおしゃべりを楽しんできた。夫が入院していた病院のすぐ近く、ハムステッド・ヒースの脇を上って行って、庭付きの家が立ち並ぶ通りに折れると、詩人キーツの名を付けたキーツ通りがあったり、各家の玄関ドアの上の部分が扇形ガラスになっていて、模様がそれぞれ違うアンティーク。見てごらん、とカレンが指差す。庭の木々や花壇もきれいなのに、今は冬で、枯れていて残念ね、とも言った。
今度、夏に来ましょう、と言ってはみたものの、そんな日が来るのか、そんな悠長な散歩をしている自分に実感が湧かない。最後のご奉仕でまたスパゲッティミートソースをしこたま作った。作り置きのつもりがみんなおいしいおいしいと食べ始めている。まあ、いいか。明日1月18日は私の誕生日、夫を残してみなで出かけるのはかわいそうなので、息子がタイレストランからテイクアウトしてくれることになっている。毎年、誕生日の直前に日本に帰るのがパターンになっていたので、家族一緒に祝ってくれるなんて、実に3年ぶりか。
さて、私のロンドン便りは暫しお休みになる。いつ再開するか、もうしないかも知れない。今回はきわどい場面が多かったので、みなさんが「息を詰めて」読んでくれていた。人の命は終わりとわかっていても、終わればお終い、二度と再び甦らない。やはり最後の最後まで逃がさないようにしなければならない。私の死生観が変わった長い長い旅だった。