連載を始めたときは100回に到達するなんて思っていなかった。正直、それまで病人が持久するとは想定しなかった。ところが想定は大きく外れ(想定外)、100回がそこまで来ているのに最後の大ピリオドは当分打てないみたい。しかし、私は今日、6週間の長かった海外遠征賄い婦(無料奉仕)を終えて機上の人となる。さらば、イギリスの冷たくてじめじめ冬の日よ、暗雲立ちこめたハウス・of・ALSよ、私は今日遠く去る。混沌から逃げ出して、自由の青空に向かって飛翔する。後ろ髪引っぱられて痛いけど、私は振り返らない。
「ではまた頑張るか」と息子に探りを入れると「それしかないでしょう」とあっさり気負いのない答え。少しは自分の事も考えなさい、と言うつもりだったのに言えなくなった。馬に水を飲ませることはできない、と人に言って置きながら、自分の馬には口を大きく広げてホースで一挙に水を飲ませようと必死、愚かなる馬主かな。明日からは何も見なくて済むのだから、日光陽明門の猿になって、見ざる聞かざる言わざる、それでも地球は回る。
驚いたことに、今、夫の一番の願いは日本に行くこと。そうでしょう、30年も住んだ国、歴史も地理も私より詳しいし、知人も山といる。息子は不可能ではないと主張。日本にもALS患者がいるのだから不可能と言えないが、私の住まいはエレベーターがない4階建ての4階で無理。ただ、そこから5分も歩けば、その昔家族が18年も住んだ外国様式の目黒コンパウンドがある。あそこがもし空いていて一時的に貸してもらえれば一階はバリアフリーなので可能。なんだか想像しただけでうれしくなる。しかし、実現は厳しいだろう。
12時間のフライトに耐えられるのだろうか。トイレは小はボトルでOK、大はさせないのだという。あの小錦関はハワイ往復トイレに行けないと聞いたことがある。お手洗いのドアを出入りできないサイズだから。席も一人半買うんだってね。聞けば八王子に車椅子対応のホームみたいのがあるという。子供たちは私に内緒で下調べを始めていた。でも八王子は都心から遠すぎるし、おおよそ彼が住んだ日本ではない。最悪、ホテル泊まりでもいい。ここだって、毎晩ホテルニューオータニ級の泊まり賃払って寝ているのだから。
子供たちは今までも父のために予想外のことを次々してきた。日本行きも夢で終わらせないかも知れない。ご一行が成田に着く日には国民が会社休んで、旗持って、歓迎に集まってくれるかも知れない。先に帰って、実現の可能性を追求してみよう。私がいなくなっても今度の土曜にはカントリーソングの王者、ウイリー・ネルソンを聴きに行くのだそうだ。スイスで死にたいなんてウソでしょ。余命いくばく謳歌しているくせにね。
さて、みなさん、日本に帰れば暫し、ではなく無期限に、この連載お休みして、本職に戻る予定です。長い間のご愛顧ありがとうございました。100回までのあと2回分はいよいよ終焉の時のために残しておいて、その報告に使おうと思います。読者を意識しないで書くと誓っていながら、ここに来てメッセージを送ったりして、やはり意識していたんですねえ。私の近著「乳がん患者に贈る愛と勇気の玉手箱」、アマゾン乳がん関連部門売れ行きナンバー8に輝いています。目指せ、トップの座。10冊ずつまとめ買い、おねがいよ。