私が日本に帰っていた6週間の留守中、4人のヘルパーは息子と喧嘩別れすることなくシフトを組んで通ってくれていた。私のことをビッグママと呼び「いない間さみしかったよお」と甘えて見せて「今度は3ヶ月いるんでしょ」とからかっている。一日中一緒にいても違和感なく、今ではすっかり家族の一員になっている。最初は他人が目の前に一日いる状景を想像しただけでいやだったのだから、この融和はありがたい。ナイジェリア人のピースは1歳の子連れでこの国に先に来て、本国から夫を呼び寄せる日を夢見て来た。

 ピースの悲劇は昨日二人でテレビを見ている最中に発覚した。ドラマの題名は見逃してしまったが、ナチの迫害から逃れてベルリンからスイスへ逃げるマイケル・ヨーク演じるユダヤ人の父親が息子を先ずスイスまで連れて行き、あとに残してきた娘を連れに戻るとき、国境で警備隊に見つかって簡単に射殺されてしまう。銃がバーンと鳴った、まさにその瞬間、ピースが顔に手を当てて泣き始めた。えっ、どうしたの、どういう関連性?

 こんなとき映画ならどうするか、シーン1。ソファに座っている女の横に自分も座り、肩にやさしく手をかけて「どうしたの、何が悲しいの」と聞く。(でも女は黒人、髪もかつらだし―、そんなこと言ってる場合か)シーン2、ティッシュペーパーを2枚あげて、涙を拭いて、次に鼻チンしなさい、と言う。シーン3、肩にかけた手で背中をなでながら、「かわいそうによほど悲しいのね、私に何かできる?子供のこと?お金がないの?」と取りあえず聞く。女は更に泣きじゃくる。シーン4、「泣きなさい、泣いていいのよ」と慰める。

 息子に、ピースが泣いている、まだ勤めは終わっていないけど、帰らせてあげてもいいか、と打診「いいよ」。「ピース帰りなさい、帰ってベビィの顔を見れば、気持ちが落ち着くでしょう、でも全部泣いてから、ね」ティッシュをあと2枚追加する。ベランダへ出て、思い切り鼻をかむ。バッグを持って帰りかけたそのときになって、やっと口を開いた。「夫が夕べナイジェリアを発ってイギリスに向かって、もうとっくに着いているはずなのに連絡が入らない、エアポートで入国許可が下りないのだろう、こっちから連絡もできない」

 皮肉なことに、妻は条件限定ビザで働いているので、夫は、妻がこの国で働いているから一緒に住むために来たとは言えないらしい。6ヶ月ビザを持って入国したのに滞在先が明確ではない。妻は政府提供ワンルームに住んでいるので、そこへ人を連れ込んではならない掟、夫はホテルに滞在すると言ってしまった、が、見合うだけの持ち金がない。息子が国際電話割安カードを貸してあげて、とにかくナイジェリアに電話をかけてみなさい、と言うとすぐに夫の妹に電話が通じたが、間違いなく夕べ発ったと確認しただけで終わった。

 映画だと、この男は空港から一歩も出ることなく本国へ送還されるだろう。ピースが働いて貯めた貴重なお金で航空券買ってビザもようやく取得して、飛んで来たというのに。2年ぶり再会の夫が目の前にいるのに会えないなんて、悲劇を通り越したドラマ。でもあの銃殺シーンで思わず溜まりに溜まっていた涙を押し流して、よかったか。この国は今テロで過敏になっている。タイミングも悪かった。ピースの胸中を思うと私の胸も張り裂ける。