今日はこちらへ来て、2回目の日曜日、子供たちもお休み、ヘルパーも来ない。みんなが朝寝坊している。なんという平和、なんというのどけさ。病人がいたことを忘れてしまいそうだ。そんな中、私は一人で相変わらずの時差戦争、何時に寝ても朝の2時には目が覚める。それからモーニングティーを飲んで起きるべきか、ティーはやめて、また薬を飲んで寝てみるか、思案する。こちらは日本の「うだるような暑さ」とは大違い、気温は10度台で最高が20度前後、寒くて長袖を羽織っている。そして、しつこい四十肩に悩まされている。

 日本で丸々3ヶ月間、悪戦苦闘孤軍奮闘して作って来た「あけぼのニュース118」は印刷を終えて、発送される頃ではなかろうか。出国直前に最終校正を入れてきた。総ページ数、堂々の40。しかし、この号は苦しかった。長い日数と休みなきプレッシャー、いつもいつも頭の隅に引っかかっていて、早く仕上げたいのになかなか進まない。効率がすこぶる悪かったのだ。それで、私はこの3ヶ月の日々、真剣に引退を考えた。ニュースレターが作れない、事務局へ行く足が重くて前へ進まない。なんだか、いつも病気の気分だった。

 事務所でコーヒータイムになると、誰かれかまわず「私はもうこれ以上は出来ない、やめたい」と唸り始める。すると、みなで決めてあったかのように「会長さん、疲れているんですよ」と思いやりをこめて慰めてくれる。が「そうですね、お疲れですよね、あとはなんとかやりますから、心置きなくお休みください」とは言ってくれない。今回は絶対本気なのを信じてくれない。過去に同じ台詞でぼやき過ぎたので、また始まった、と軽く流されている。やめたいと言われても、何と答えていいか、わからないこともあるだろう。

 30年も同じ仕事を続けてきたのだから、この辺でリタイアしても誰にも咎められまい。代わりに「長い間ご苦労さんでした」とねぎらってくれるだろう。正直な話、私はもう乳がんのことを真剣に考えられなくなっている。自分が乳がん患者だったこともとっくに忘れてしまっている。31年前の出来事だったのだから当然と言えば当然だろう。それに68歳で現役というのも欲張りな話ではないか。でも先日テレビで千葉の堂本暁子知事を見かけたが私より8歳も年上なのにとても力強くパリパリしていた。お顔もつやつやだった。

 夕方6時、あのニックがカレンと病人の顔を見に来るというので、さてまたお料理、何か日本風のもの、と娘と相談してトリの唐揚げに決めた。唐揚げって、元は唐の国から来たのだろうか、漢字を見て思った。皮付きのもも肉を買ってきて、生姜とにんにくと日本酒のたれにつけて下ごしらえ、添えはブロッコリーの私流。これはニックの大のお気に入り。ブロッコリーを茹でないで、バターで炒めて水を差して塩コショウ、蓋をして火を止めて余熱で蒸し煮。軟らかくし過ぎないコリコリの内に蓋を外す。このタイミングが微妙。

 カレンは日本通、かつて自分の家に日本人男性を5年間も下宿させていた。学者の卵らしいが、ホモだと思うと言うので、5年間、あなたと何もなかったのならきっとそうよ、と断定したが、根拠がひ弱すぎただろうか。バツイチ・ニックの妻ではなくパートナー、この二人が夫を訪ねてくれたり招待してくれたり、その回数No.1のカップル。ありがたい。

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