お盆で出てきたお刺身(小盛り)とてんぷらの盛り合わせご馳走を一人で食べ始める。余り食欲はなかったが、二人の男性がカウンターの中から話し相手をしてくれたので、食が進んだ。ありがたい。大通りをうろうろ探し歩いて気弱になって、食べずに寝ようかと諦めかけたから、まさか、こんな光景の中に落ち着けるとは想像できなかった。予期せぬ幸せ、そうだ、神だ、神様が見ていて私をこの店に連れて来てくれたのだ。絶対にそう、そうに決まっている。明日は仕事なのよ、と私が言うと、ご苦労さんです、と軽く流した。
ああ、なんという束の間の安堵、疲れていた私の魂に天からの贈り物、誰にも会わない空間、のどかな会話、やさしい板前さん。79歳のご主人が2階まで小走りで上がって降りてきてビールの小瓶を見せた時の得意顔、満面の笑み、仏様のよう。あのおすし屋さんに入った偶然より、あの束の間こそ神秘的ではないか。まるで映画の中の1シーンのよう、日常から完全に切り離された映画の一こま。あれは偶然だったのだが、実は偶然ではなかった。すべてが前から決められていたのだ。とすれば、神の采配の不可思議、うれしい計らい。
今度京都へ行ったらまた寄って来たい。ただ、店の名前だが、看板を見ないでウインドーのメニューと値段ばかり見ていたので、わからない。食べ終わって外に出たら、二条城に落ちかけていた夕日はとっくに消えて、夜の涼風、アルコール0.5%に酔って歩くと「明日は大丈夫」の声を風の中で聞いたような気がした。フロントで「京都新聞」の夕刊を買って部屋に戻る。お店で食べ残した湯葉の鉢、余り好きではない。これが京のお味です、とやんわり言われて、あら、すっかり忘れていた、ごめんなさい、と全部食べてきた。
京都へは韓国の朴さんと一緒に新幹線で行って、台湾組と現地で合流という計画だった。なのに、朴さんが急に前日には行かれなくなって、私は一人旅、その夜は一人でツインルームをもらってゆったり寝る。朴さんは翌日大会会場へ来てくれて始めから話を聞いていた。彼女は日本語がわかるが、台湾組はさっぱりなので、朝から目一杯観光して、終了寸前に現れた。みなを壇上で紹介する。この三国の乳がんの友は本当に仲良し、言葉をやりくりしながらでも気心が通じてとても楽しい。こんな隣国の友を得たのも乳がんのおかげ。
それにしてもしつこい四十肩の痛みよ、何か私に深い恨みがあるに違いない。痛いのよ。でもかまわず病人を吊ったり降ろしたりの手助けをしなければならない。くそ重い、岩のようなボディ。ヘルパーはしなくてもいいと言ってくれるが、手を組んで眺めているわけにはいくまい。つい、手を出して後悔している。寝ていても疼く。これが病気でないなんて。緊急入院させてほしい位なのに。英語にはない四十肩、フローズン肩というのが近いらしい。凍結肩、まあ、そんなものか。痛み止めをあれこれ試して、薬ばかり飲んでいる。
あの京都の夜に戻りたい。この運命の呪縛から逃れたい。しかし、最も運命の呪縛から逃れたいと願っているのは、目の前で終日車椅子にうつむいたまま目を閉じたまま座っている病人なのだ。思考力は衰えないのだから、何かを頭の中で考えているはずなのだが、もはや誰も気に留めなくなった。世の中から切断されてしまった人間がここに一人いる。