2008年12月25日、生きて、クリスマスを迎えた。目をつむったままの病人に「今日はクリスマスよ」「これからターキー焼くのよ」と囁いて、サイレントナイトのCDを流している。思えば、‘05年11月に発病して、今年は4回目のクリスマス。誰も4回もキリスト生誕の日を越せるとは想像していなかった。だから、我が家にとっては彼の生存が最大のクリスマスプレゼント!ターキーは3人用サイズ、焼き時間を計算して、オーブンに入れた。私はまだ2回しか焼き経験がないので自信がなかったが、程よく焼きあがった。

 クリスマスツリーも孫があれこれオーナメントを飾って、オールカラーのライトがチカチカ点滅、プレゼントが木の下にささやかに積まれてある。病人を車椅子に座らせてリビングルームへ連れてくることだけはやめてもらった。賛成2反対1だが、断固譲らなかった。「どうしてもやるなら、私の死体を越えて、やって」という英語の表現が気に入っているので、言ってみたかったのに、二人がすぐに折れたので、使えなかった。主のない居間、「去年はダディがまだいたね」なんて思い出話をしている来年の今日を空想している。
 「ロンドン便り」を心待ちに覗いている日本の読者さん、声援ありがとう。みなさん一様に、肝心の私が倒れたりしたら、と私の身を案じてくれている。やさしさが本当にうれしい。「今日か明日か、時間の問題」という私の誇大予告はまた外れて、持ち直しています。すいません。私の帰国は新年1月7日、それまでに決着をつけてもらえないものか、神をも恐れぬ祈りをしてしまう。どこか、ぱあっと楽しい所へ行きたい、と口に出して言ってしまった。南国、トロピカル、青い海、空、真っ赤な太陽、暑い浜辺、レモンスカッシュ。

 イギリスは国を挙げてクリスマスホリデー、息子も25日から1月4日までお休み、ヘルパーのエリザベスもヘレンも5日の月曜まで戻ってこない。金棒の息子が10日間もこの微妙な状況時に家にいてくれて、何より心強い。こんな緊迫事態でなければ、アメリカでもどこでも行けるだけの長い休暇だったのに。日本も27日から年末正月ホリデー、喧騒の東京はにわかに人間が減って、静寂過疎の都と化しているか。ここ4年、お正月に日本にいなかったことになる。家の猫たちは静か過ぎて、2匹寄り添ってさみしがっているだろう。

●ここから12月27日記。

 朝から便通あり、計5回もオムツ(厳密には、履かせないで、股にはさむだけにしている)とシーツ取替え、そしてお尻周辺のクリーン後始末。一回終わるたびに、体力の消耗がわかる高疲労。こんな作業を何年も繰り返している人の話は聞くが、体験してみて大変さがよくわかった。10日間、イロウから食べ通しだったのに、お通じが全くなく、今に腹が爆発すると言っていたら、何とお尻からの連続爆発。栄養食と一緒に飲ませていた下剤がやっと効いてきたのだろう。今、夜中の2時半、時差の私が寝ずの番を買って出ている。

 オムツ替えの間に息子とサウスケンシントンのユニクロまで行ってきた。どこも50%オフの張り紙をして、購買心をあおっている。息子がダディに寝巻き用シャツを1枚買った。えっ、今ころ新しいシャツ?もったいないでしょ、と言いかけたが、必死に押さえ込んだ。