日本より9時間遅れで2009年を迎えた。23:59「急いでテレビをつけると、ロンドン・アイでカウントダウンが始まっている。
人人人、 人の山、 サン、ニッ、イチッ、ゼロッ! で夜空に舞い上がった超大スペクタルの花火。
日本のお家芸と思っていた私はバカ、こんな見事な花火、初めてみた。やるじゃない、イギリス火薬職人も。
テームズ川の水面に映って煌く。上品で繊細で強烈・・・・・」
 これは昨年書いたもの。ヤフーで「テームズの花火」を検索したら、なんと自作品に邂逅した。ここで訂正1点。花火のデザインはこの道著名なフランス人だそうだ。

 病人を大晦日に家に連れ帰る目論みは実現しなかった。血糖値が正常値に戻り、呼吸も楽になり、予想外に治療に好反応して、諦めるには惜しいと判断したからだった。31日早朝5時半、3日間いた10階北病棟9号室から12階北7号室に転送、はるか彼方に見えていたロンドン・アイ辺りの遠景はがらりと変わって、代わりに見えるのは懐古調英国田園風景、なんと、元気なとき車椅子で何度も連れて行ったハムステッド・ヒースがすぐそこにある。最後を迎えるには最高のセッティングだ。(前の部屋からなら花火が見えたのに)

 30日に血尿が丸一日出っ放しだったのが、ピタッと止まって正常色になった。点滴の薬のせいとかで、ドクターはさほど驚いていなかったが、私たちは赤黒い血がバッグ一杯に溜まってくると、怖くて見ていられなかった。脱水症状体に水分補給が着実に行き渡って、今度は全身が水ぶくれみたいにパンパンに膨らんでいる。これは膨れすぎではないだろうか。糖が一時解決したら、今度は塩、ナトリウム(ソディウム)数値が高い(低いのか?)、とにかく異常。ナースが時間を見て、数値を調べに来る。糖、血圧、脈拍数、体温など。

 呼びかけにも全く反応しないので、もう意識はないようなのに、時折、酸素マスクの中で声を上げてあくびをしたりするので驚かされる。咳をしたいらしいが、出来なくて、かすかなゼイゼイ音を出すと、子供たちが上体前かがみにさせて、背中をバンバン叩く。すると不思議に静かになる。正直、私の耳にはそのゼイゼイ音は聞こえないのに、あの人たちには聞こえるのと、バンバン叩く解決法も一応効を奏しているので、医者顔負けだ。

 息子は「ダディを家に連れて帰ることは、おしまいということだからね」と誰にともなく呟いている。病院はロイヤル・フリー・ホスピタル。NHS(治療費国負担ですべて無料)なので、ありがたいが、当然手が足りないから何でもすぐにはやってもらえない。点滴バッグが空になってピーピー機械がなっていても放って置かれる。息子はホスピスに移したいらしい。入院患者数が少ないので、親切に扱ってもらえる。娘はもっと科学的に捕らえて、病院はスローだが、専門医がいて原因究明、即、治療開始がある点を重要視している。

 今、新年2日朝3時。私のANA切符は7日発。いかに私でも夫が死んだ次の日に日本に帰るわけにはいかない。だが、そうなりそうな気配。エコ割り切符は変更が利かないので、帰りの分は捨てて、あとは帰る日が見えて来た時、片道切符を買って帰るしかないだろう。格安片道はあるのだろうか。こんな緊迫下にあっても、こんな現実問題を案じなければならない私に誰か愛の言葉を送ってくれ。息子の病院泊まりが夕べで5夜連続になった。

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