採血を2日続けでしなかったので、子供たちが、どうなってんだ、と詰め寄って、3日目にやっとして、ヘモグロビンが不足していると判明、急遽、輸血を開始した。血液で諸数値(たとえば、ソディウム値)がわかり、一喜一憂するところ、検査をしなければ何もわからないから、と彼らは怒っていた。栄養も量が多すぎスピードが速すぎたので、口から少し吐き出したと報告して、量もスピードも落としてもらった。下剤も入れてもらって排便があった。いいのか悪いのか、彼らが万事イニシャティブを取って、患者を管理している。

 私は座って数独をしながら、ひたすら自分の持ち時間が過ぎるのを待つ。時々、息をしているか、胸の辺りが上下しているのを確認するだけ。しかし、5時間も病室にいると体が硬直して、冷えて、くしゃみが始まる。限界だ。昨夜は零下で凍てつく欧州の9時半、バス停で帰りのバスを待つこと20分、突如、私はここで何をしているのか、意識モーローになった。幻想の中にいるのか、もし現実だとすれば、これに何の意味があるのか、本来なら、今ころは日本行きの飛行機の中だったのに。日本で新年から大仕事が待っているのに。

 緊急入院10日目、風前の灯を消すまいと、家族が、そして医療陣が懸命に灯火を守っている。思うに、これがまさしく終末期医療。私は昨年度から厚生労働省の「終末期医療のあり方に関する懇談会」の委員の一人に選ばれている。身内に終末期患者を抱えた経験を参考意見として聞いてもらえればいいと思っている。延命治療に何の意味があるのか、何の意味もない。しかし、我が家がいい例で、乗りかかった船なのだ。どこで降りればいいかわからなくなって、船に乗ったまま。治療で、病人が生反応を示す間は降りられない。

 輸血のお陰で顔色に赤みが戻ってきた。ナース・リズが来訪。「あなたのガールフレンド、リズが来てくれてるのよ」と私が中くらいの声で告げると、なんと、まぶたをひくひくさせ口をゆがめて喜んだように見えた。リズも興奮した。頭脳も全部いかれてはいない。しかし、彼がまだ元気なころ、末期になったときのことを二人で話し合った。「無意味な治療はしてほしくない」とはっきり意思表示した、とリズは言って、だから点滴の管につながれた今の状態から解放して、一日も早く家に戻してあげたいのよね、と心から憐憫を表す。

 帰国を延期してよかった(いよいよ危ないみたいだから)と、娘は輸血を始めたのを見て言った。それが元気反応を見せて、みな胸をなでおろしている。が、24時間付き添いを3人でまかなうのは至難、私が‘三勤交替’と呼んでいる。家の病室にだけ特別に付き添い用マットレスを貸してくれた。椅子で寝るよりは体を伸ばせるだけ楽なので、ありがたい。家に来ていたヘルパーのヘレンが仕事をやめたと聞いて、昨日は5時間、お金を払ってきてもらった。1時間7ポンド、1000円ちょっと。これからは4人でシフトを組める。

 我が家の病人は殺しても死なない。地球が彼を中心に廻り始めて3年を過ぎた。子供たちが今でも少しも手を抜こうとしないので私も仕方なしに付き合っている。人目に悪いから。みなの疲れが目に見えてきたのは否めない。救いは、ここまで来ると、見送る悲しみがうまく中和されて、悔悟ではなく完結として受け止められる雰囲気になっていることだ。

バナー広告

とどくすり

共同文化社

コム・クエスト