私の人生の中で3人のワンダフルピープル、その名前はT,J,Sの頭文字で始まる」
「私の人生を本当にハッピーなものにしてくれた3人の名前はT、J、Sの頭文字で始まる」
「私がその人たちの人生の一部分であることを誇りに思う3人、その名前はT,J,Sの頭文字で始まる」
 夫が去年のクリスマスにTakako、Jennifer、Sandyの3人にくれたカードにこう書かれてあった。彼にこんな詩的才能があったなんて。

 彼は古い絵葉書の収集家でもあるので、私には、クレオパトラの映画に出てくるような格好をした男が清純な女に言い寄っていて、周りをバラで囲んだロマンティックなカードを選んでくれている。思えば、私が彼の収集癖の100分の一も理解しようとしなかったのに、彼は一度も手を緩めずに、あのパリの旅でも杖をつきながら一軒また一軒と骨董屋街を探し廻って、希求していたハガキをようやく手にして喜んでいた。

 去年のクリスマスは病名が判明して間がなかったのと、息子がアメリカから来られなかったので、さみしいものになった。ジングルベルを歌ってプレゼントを山ほどもらって喜んでいたのは無邪気なリラちゃんだけ。そして、大晦日も元旦もこれといって祝うでもなく、「ハッピーニューイヤー」も誰も言わなかった。言えるような雰囲気でなかった。私はあのとき、日本で家族に不幸があった時の「年賀状欠礼ハガキ」を思い出していた。それまでは、家族が死んでも本人は生きているのだから、例年通りでいいのに、と大雑把にとらえていたのだ。大体、あの冷たい「不幸の50円切手」が大キライ。でも今なら、慶賀の気分になれないのがよくわかるので、あの日本的慣習はあってもいいことに決めた。

 夫は1936年10月15日に生まれ。2006年クリスマスまでは無理でも、せめて誕生日まで生き長らえれば70歳になる。古希。切りがいいし格好が付く。が、あと8ヶ月先。一日一日あえぎながら生きている病人にとって、8ヶ月は気が遠くなるように長い。命という透明な風船玉はどこまでふくれて、どこでパーンと破裂するのだろう。

 夫は明日バンコックからイギリスへ向かう。明日のこの時間には機内で眠っているか、あと数時間で懐かしの祖国の土を踏んでいるのだが。さっきからもう2度も国際電話して、息子にあれこれ指図して、大丈夫だよ心配ないよ、とうるさがられている。タクシーを2台掴まえて、1台に夫を積み込んで車椅子をトランクに入れ、息子も乗って、あと1台にメイドのピペが大荷物をつぎつぎ押し込んで、自分も乗って、タイ語であのタクシーのあとをつけて、と頼んでとか、想像たくましくするだけで何も手伝ってやれない。身の置き所がない私はカリフォルニアワインを飲んで酔っ払っている。どうか、うまくいきますように。頭文字「S」のサンディ君、がんばってくれたまえ。

 とりあえず19日の切符を抑えた。娘は18日には仕事に戻らなければいけないので、間を空けないように手配したのだが、正直気が重い。向こうにいつまでいて、今度いつ帰れるか、今回は決められないからだ。何より、神秘なシンピジュームの花が終わってしまう。それと会の仕事だって多少は気になる。1ヶ月以上も自分の家を空けたことなんて、今までの人生にあっただろうか。

 そんなことより、病人がイングランドに降り立った途端に、魚が水を得たように息を吹き返して元気になるなんていう奇蹟は起きないだろうか、エリザベス女王様、おねがいします。