ロンドンは今花盛り、それも牡丹のように太った濃いピンクの八重桜があちこち満開。他に真っ白い桜もあって(昨日会ったイギリス人があれも桜だと言った)、通りの両側から覆いかぶさる花トンネルになって、そこだけ幽玄の世界。山吹のだいだい、レンギョウの黄色、柘榴の赤、それに紫の藤の花もぼちぼち開いて、もちろん木々の新緑は濃淡入り混じって空に伸び、肌には北国の冷たい風が吹き付けても間違いなく春爛漫。
そんな日曜日、あのダイアナ妃の住まいだったケンシントンガーデンズを歩いてきた。彼女が死んだとき、パレスへの入り口だけでは足りずに、公園の芝生の上を延々と花束が覆い尽くしたという。池のほとりのベンチに坐って、しばし水面にダイアナ妃の顔を思い浮かべる。「あれも運命だったのよね」と私。すると一緒にいたピータ(ジャマイカ出身の女性、ジャマイカはかつて英国の植民地だった)も「そう、運命だったのよ」と静かにうなづく。彼女は私に一日家を離れて気分転換するように、とご主人と車で迎えに来てくれて、ランチを済ませて、近くのこの公園に連れ出してくれたのだった。気遣いがうれしい。
ケンシントンガーデンズのその無限遠大さにただ驚くのみ。ずっと端の端まで行くと、なんとあのハイドパークに繋がるのだそう。この国のリッチさはこういう鷹揚さに現れている。
日本でも1ヶ月の滞在中、みなさんのやさしさと労りの気遣いがうれしかった。特に男性陣がこういう段になると心強くて、日本男児をお見直しいたしました。仕事柄、製薬会社関係、出版関係のみなさんと日ごろからお付き合いがあるのだが、彼らが食事に招待してくれたり、事務局にケーキ持って訪ねてきてくれたり。(でもあの人たち、私を慰めてくれたのか、本当はマドンナ(私のこと)に会って癒されたかったのかも)いずれにしても愉快なフイーリングで、エスプリ入りの談笑ができる男友達がいることは最高の妙薬、(そうよ、フェロモンよ)。
毎週水曜と金曜日には10時にお迎えが来て、夫はあのキューリー夫人ホスピスのジムへ体操に通う。送迎車のライトバンを覗くと中にすでに2人の常連が座っていて、いつも3人でジム、そのあとのリラクゼーションコースと2時間共に過ごすのだという。彼らは同病ではないが、車椅子は共通。夫も自由闊達に話せたらどんなに楽しかろう。いちいちトーキングマシンを通してではつい省略してしまうのだろう。特に感情は反射的に表現するものだから、もどかしいに違いない。
木曜には夫のファミリードクターの女医さんが来て、問診をしてくれた。主治医がいない夫にとって、彼女が肝心かなめのドクターで、たとえば、日々の薬を処方してくれたり将来またホスピスへ入れてもらいたい時なども、この女医さんを通して依頼するようになっている。こうして手順がはっきり決められていると先行きの心配をしなくてすむ。
水曜にはパリアティブケアナースのリズが訪問してくれて、和やかにやはり問診をした後、立ち上がる力や握力はどのくらい残っているかなど、チェックしてくれた。彼女は紅茶に添えて出す日本のおせんべいをいつも喜んで食べながら、世間話も合間に入れて、みなをリラックスさせてくれる。化粧けも何もない人なんだけど、夫の具合を心底案じてくれているのがひしひし伝わるので、この人の訪問はみなが心待ちにしている。