求人広告の条件は年齢制限のほか「英語が流暢に話せること」だった。英語は中学からテキストブックを全部丸暗記するほど勉強したので、文法とか英作文には強いが、話せない。今でも日本の英語教育のウィークポイントと指摘されている英会話、あの当時のことだからできなくて当たり前。誰も教えてくれないし、必要性もないし、個人的に外国人に会うことなんかなかったのだから。しかしこの期に及んで、開き直っている場合ではない。1週間先に控えた面接試験までに英会話を「流暢」にまで上達させなければならない。

 苦肉の策はとにかく街へ出て、外人を見たら直接話し掛ける。「ハロー」そして「東京案内しましょうか」とかなんとか、きっかけを作る。大胆不敵な着想。でもこんな着想が思うようにかなうはずがなかった。第一、私がどうやって東京案内をするの、おのぼりさんなのに。でもね、東京といえばギンザでしょ。ギンザへ行けば、外国人が歩いていると自分で決めて、朝の10時から、スーツ来て、色はグリーンだったけど、まるで会社に出勤するような恰好で、銀座4丁目の通りを行きつ戻りつしていた。

 銀座通勤何日目だったか、朝からみぞれ混じりの雨が降って冷たい日、収穫なくて悲しくて諦めかけていた私の目の前を一人の外人が横切った。大またで駆けるように歩いていく。反射的に、後ろから必死で追いついて、「ハロー、ハウ・アー・ユー」。すると、その外人は私を見て「ノーサンキュー」と逃げるように去って行った。まあ、失礼ね、私はやましい下心を持った女ではないのに、逃げることはないでしょ。私の動機は健全で真剣、英会話をただで、短期集中講座を一寸だけやってくれればいいのに。ケチねえ。

 寒さと空腹に耐えかねたマッチ売りの少女は、その日の営業を打ち切り、目の前の松屋デパートの食堂で、あったかいおうどんでも食べることにした。もうここまでくれば実力勝負で行くしかない、落ちたら落ちたで考えればよいのよ、と食堂のビッグテーブルに座ってあんかけうどんをすすっていると、なんと先ほどの外人が入って来て、しかも同じテーブルに座るではないか。憎らしいので、努めて素知らぬ顔をする。なのに、あなたは東京に住んでいるの、とか何とか話しかけてくるではないの。どうしよう、返事してやるか。

 「大阪から来たばかりで、ただで英会話の特訓をしてくれる人に体当たりしてたのよ」と打ち明けた。彼はそんな向こう見ずの女が日本にいたことに、いたく心打たれたのか、帰り際に勤め先の電話番号を書いた紙をくれて、仕事が決まって東京に住むことになったら電話して、と言い残して去った。思えば、その一枚の紙切れが二人が再会して、交際を始め、やがて5年後に結婚する運命の紙切れになったのだった。銀座の恋の物語。

 肝心の航空会社だが、当時、立川基地に拠点があったアメリカの会社で、主に、米軍の軍人とその家族が駐屯先から休暇で移動する時に利用する会社で、民間の会社ではなかった。一説によると、CIAがからんでいたとか。何であれ、空を飛んで、外国に行くのなら、それだけでよかったので、採用されたい一心だった。このラストチャンスを逃したら、私はまたあの退屈なOLライフに逆戻りになる。いやだわ、神様、私に好運を恵んでちょうだい。

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