夜中の11時半にパッチリ目が開いて時差病の私の一日が始まる。夜も明けていないのに次の日が始まるのも困りものだが、日本時間で言えば朝の6時半、国民ラジオ体操のお時間。ひんやり晩秋の冷気の中、朝日をまともに受けてヒノキの葉が赤やいでいた世田谷公園がなつかしい。今回鈴木さんのご主人にラジオ体操をテープに入れてもらって持ってきている。ベランダで毎朝少しの運動をするのが目的だが、一人で東洋体操を音楽付きでやればかなり異様に見えるだろうから、明日リラが帰るのを待って教えながら始めるとする。

 鈴木さんは15年前に世田谷公園に行き始めて以来の早朝公園友だち。私よりちょうど一回り上の辰年なのに自転車をスイスイと漕ぎ、三味線の先生なので背筋はピンとして、私が目標にしている元気おばあさんだ。縫い物もプロ級、私の舞台衣装の大半は裾揚げ袖出しなどで世話になっているが、最近はもっぱら夫の買い立てパンツのジッパーを外して大きなホックを一つ付けてもらっている。もう自分の手では開け閉めできないのでホックのほうが勝手がいい。パンツは汚さない限り、朝取り替えると次の朝まではいてもらう。

 風邪気味だったのが、飛行中にとうとう本物の風邪になってしまった。鼻づまり、咳、寒気症状。神戸行き新幹線の中で、お衣装の夏物ピンクスーツが寒かったのだ。幸い、このたびは格上げグリーン車だったので、備え付けの毛布を巻いて座っていたが、降りるとき咄嗟の判断で、一枚かっさらって会場まで持って行き、講師控え室でも巻いていて、人々を驚かせてしまった。あの大空さんも「どっかで見た毛布だと思ったのよね」と2度も繰り返して感心していた。(帰りに車内に返すつもりが会場に置き忘れてきてしまった)

 私はただ、窃盗で逮捕されるより風邪のほうが怖かったのよ、だって翌日は空気の薄い3万フイートの空の上、風邪の悪化は目に見えている。今までも何度も体調悪で飛んで、ひどい目に遭っている。機内はただでも超寒いから、想像しただけで恐怖だったのに。それでも住人がいないので、外へ一歩も出ずに寝たり起きたり、起きればホットティーかインスタント味噌汁を飲んで、また寝て、ベッドで数独ざんまい。しかし、明日はこうしてはいられない、全シーツチェンジを終わらせてから、みなが喜びそうなカレーでも作るか。

 夫の誕生日の残骸バルーンがあちこち浮遊している。25人ものゲストが集まったそうだ。てんでに食べ物一品持ち寄り、その上で椅子が全く足りないので、ほとんどが床に座ったままで順番に詩の朗読をしたそうだ。みなが一遍の愛読詩を持ち寄って。おそらく娘の発案だろうが、夫は泣いて喜んだに違いない。良案、ワンダフルアイディア!老いては子に従え、とはよく言ったもの、老いてなくてもこんなアイディアは私には浮かばない。誰もが彼の最後の誕生日と心中思いながら、この部屋に座っていたはず。差し詰め、生前祭。

 夫は「マイフレンド!長年の友情をありがとう、私はかくもよき友を持って幸せだった」とこの世の最後のスピーチをしたのだろうか。興奮してできなかったかも知れない。人生最後の月日を多くの人に究極愛されて祝福されて、変な病気でかわいそうと思っていたけど、どっこい、こんなに欲張りで恵まれた死に方はそうないのではと思うことにした。