火曜に着いて、昨日木曜日、昼日中に深寝してしまった。日本の夜中の12時過ぎ。それでも夜もまた眠くなって幸いなるかな、眠剤なしで寝入る。しかし、そのあとが悪い。11時23分にくっきり目覚めてもう目が閉じない。考えない方がいいのだが、日本の朝の8時半だもの、寝られるはずがない。起きる時間に寝よ、寝る時間に起きよ、と言われても私は出来ないと言ってるでしょ。時差なんか何もないという人がいるが、その人が異常。

 イギリスの冬の一日は短い。午後3時を過ぎると早や暗くなる気配がして、4時で暗くなり、5時で真っ暗になる。朝もどんより、いつ明けるのか、全体がぼわーっとして締まらない。東京の冬のパリッと冷気が張り詰めた締まりのいい朝が恋しい。みなが起きる前にトースターで日本からきたうるめ鰯を焼いた。早朝から東洋の匂いが蔓延している。10時にヘルパーが来る前に匂いを完全に外へ出してしまわないと、この匂いで失神してしまう。

 水曜日、担当ナース4人が一同に会して、病人を囲んで、息子と娘の介護班と会議を開いた。私は紅茶係。クリスマスが近づいているので、みなが休暇を取っていなくなったあとの緊急連絡先など、確認し合った。この国はクリスマス前になると津波でも襲ってくるかのように人々は緊急事態になる。ニックは8日間のナイル川下りに行くそうで、この時期に避難できることがうれしい、と喜んでいる。逃げられるものなら逃げたいと願うほど、クリスマスストレスなのだ。ちなみにこのツアーはすべて込みで20万ちょっとだそう。

 観察するに、外国人(アメリカ人とイギリス人)は、動けない重病人を前にして平気で、どこどこへ行ってきたとか、これからどこどこへ行くとか、喜び勇んで話をする。日本人なら、行きたくても行けない病人に悪いので、自分だけ楽しむ話は少し控えめにするとか、気を遣うところだが、この人たちは全くの無配慮。日本人の私はつい、病人がかわいそうだから、いい加減にしてくれ、と恨んでしまう。

 それで、思い出したのは、日本人のお母さんが旅行に誘われたのだが、息子が受験勉強中だから行けない、と断ったという話。私の友達のアメリカ人は「どうして息子が受験だとお母さんは旅行に行けないの、関係ないでしょ?」と理解に苦しんでいた。苦悩するならみな一緒、楽しむならそれもみな一緒、という日本人的発想は不可解きわまるのだ。日本人の損なところはこれで終わらない。息子がもし、お母さん行って来てもいいよ、と言ってくれて行ったとしても旅行中ずっと後ろめたくて十分楽しめない。

 外人は単純でおめでたい人種だといつも思う。行って楽しんできて、と言われれば、それ以上考えずに十分楽しんでしまう。「いくら行ってもいいって言われたって、あなた、ちょっと考えればわかるじゃない、隣近所の目ってものもあるし、非常識よね」などと非難がましいことは言わない。だから言われたりもしない。奥のまた奥の意味とか、一を言ったら十を知れとか、日本人の思考範囲は限界がなく複雑だ。血の違いとは思われない。すると幼いときからの思考習慣、思考環境の違いなのだろう。

 クリスマス前の卵が遂に6個1ポンドを超えた。1個40円弱、恐ろしい国へ来たものだ。