気が滅入ったままでは到底おもしろおかしくは書けないので休筆宣言を出したいと願いつつずるずる今日まで来た。こんなとき唯一の喜びは朝パソコン開くひととき、誰かが何か書いてきている、きっとくるウ―― あれは何のコマーシャルでした?

 ところが最近は日本国民多忙らしくて英国島流しになっている私のことなどまたまたお忘れになってしまった。「この連載はブログではない、ゲージュツなのだ、バクハツだー」なんてひそかに信じている自称エッセイストが人々の応答を期待するなんて、本当はさもしい根性なのだー。

 今回の滞在中、睡眠パターンが狂ったまま、一度も正常化しなかった。とにかく何時に寝ても朝の3時には目がパッチリ覚めて起きてしまう、午前3時の女。イギリスの草木も眠って丑三つ時過ぎ、私は一人紅茶を飲んで、パソコンに向かう。眠り姫の私がなんと日に5、6時間しか寝なくなった。デパスをのんでものまなくても関係なく起きてしまう。こんなのは老化現象の最たるもの、泣きごと言うこともないのだが、日本に帰ったら元に戻るだろうか。睡眠不足だと顔のしわが増えるので、それが気になって余計眠れない。

 帰国日が1週間を切った。やったーの気分と、あとの心配が入り混じって複雑な心境、やはり病人は相当弱ってきていて、顔つきが悪い。目は半分閉まったまま、生気がない。パソコンを覗きもしない。終日車椅子に座ったまま、うたた寝をし、夜はボーッとテレビでDVD観賞。ありがたいことに彼はジョニー・キャッシュが命なので、何度でも同じものを繰り返して見ている。水、金と週2回通いの夜のヘルパー、でかいロンキー(ナイジェリア人)も私も彼に相伴して見ている内に結構好きになって、3人一緒に楽しんでいる。

 今回去る1月21日が彼を見る最後になるのではないか。本当にだめそうになったら呼んでと頼んであるが、日本から飛んで来るには最低二日は掛かる。食べ物が引っかかってむせることが頻繁になった。一旦むせて咳き込むとそのまま息が止まるのではないかと怖くなるほど続く。そして、夜ベッドに入った後も夕べなど激しく咳き始めて、先に寝ていた私も飛び起きた。最終的にはあんなふうに咳して呼吸ができなくなって死ぬのではなかろうか。食欲はまだあってよく食べているし、昼中からベッドで休むことはまだないのだが。

 介護も疲れ果てたのでいい加減にしてくれ、と恨んだりしたが、これが見納めかと思って顔を見ていると、そんな自分の心の動きがばれなかったか、と戸惑う。あと5日間、するとたったの120時間だけ、焦ってしまう。彼のさみしさをもっと理解してあげなければ。心と心をつなげればいいのだ。40数年前に始めて運命的な出会いをした時、瞬時につながったあの心をもう一度呼び戻して、それを全部あげてしまえばいいのだ。今日からもう一人で出かけたりせずにずっと付きっ切りでいよう。肩を揉んだりさすったりしてあげよう。

 彼の写真や手紙の整理をしている。私が送った手紙絵葉書全部取ってあった。彼からの手紙も箱に入れてあったものを彼が保管してあった。何も捨てない彼のおかげで昔の思い出がよみがえってきて、しばしほのぼの気分。やはり捨てない生き方も尊重しなければいけないみたい。しかし、この愛の書簡集を一体全体どうするか、洪水はまだ来てくれない。