●沖縄の翁長知事が先日亡くなった。知事選だったか、那覇市長選だったか、はっきり思い出せないのだが、選挙投開日の日、たまたま那覇にいて、あけぼの会の会員と夕食会をしていて、中に翁長安子さんという会員がいた。彼女は時々部屋から出て行っては選挙の状況を調べていて、最終的に「よかった」とホッとした様子だった。このとき、チラッと翁長氏が自分の息子と言ったか、甥と言ったのか、まあ珍しい姓なので、一族なんだ位にしか記憶にとどめなかった。それが今回のご逝去に伴い、きちんと調べたら、安子さんは「知事のおば」とわかった、だけでなく、彼女自身が社会運動家なのだった。
●翁長安子さん(88)をネットで追跡したら、写真入りで載っている。驚いてしまった。
自身が15歳のときに体験した戦争の悲惨さを語り部として、学校などで話をしている。
たとえば、本年6月8日、さつき小学校の『平和集会』でのお話(Yahooからの抜粋):
「皆さんは、おうちで戦争の話,10・10空襲について聞いたことがありますか。本当の戦争は、武器を使ってたくさんの人の命を奪います。今日は、私が15歳のときに体験したことを話したいと思います」とたくさんの死体を四つん這いのままかき分けて逃げた様子など当時の場面を記憶の限り細かく伝えました・・・・
●このお年、私より10歳も上で、今なお身をもって、反戦を訴え続けている。知事の辺野古基地反対を陰で誰よりも強く支えていたのではなかろうか。実に歴史的人物なのだ。それを私は普通のあけぼの会会員としか見てなかった。ごめん。すぐにお悔やみのカードを送り、中に、安子さんと私が一緒に写った写真が出てきたので同封した。受け取るや否や、沖縄から電話。「会長さん、ありがとう、懐かしい!」本当に懐かしかった。
●ところで、本年6月23日、沖縄全戦没者追悼式で朗読された詩「生きる」*を、もうみなさんご存知だろうか。浦添市立湊川中学校3年生、相良倫子さんの7分半に及ぶ詩、感動的なのだ。一度も原稿を見ることなく全身で、祈りをこめて、謳いあげた。立派!「私は生きている」で始まる自作の詩は「鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。命よ響け。生きゆく未来に。私は今を、生きていく」と続く。県平和祈念資料館が募った「平和の詩」971点の中から選ばれたのだという。まだ読んでない人、なんとしても読んでほしい。
●一人の会員のおかげで沖縄戦がいかに悲惨だったか、学びなおすこととなった。謙虚にありがとう。40年間に何千もの会員がいたので、その中にはいろいろな活動、社会貢献をしている人がいくらもいただろう。ただ、あけぼの会の会員はみな頭が良くて慎ましやか、だからどんなに偉くても自ら言いふらしたりしない。翁長安子さんがいい例だ。
ワット akebonok@d9.dion.ne.jp
*https://www.youtube.com/watch?v=cNVS7ctD1Gs