●昨日、2018年11月17日、あけぼの会事務所は空っぽになった。回収業者が来て、椅子も机も冷蔵庫もコピーマシンも何もかも持って行ってしまった。何もなくなった部屋を見て、やっと「やめる」ことの意味がわかった。40年の歴史が消えてしまうことだった。こんな日が来るとは想像もしないで、ただひたむきに会を続けてきて、終止符を打った。
●先日の「あけぼのハウスin東京」でも「会長さん、死ぬまでやってください」という人がいた。そうも行かないでしょう。私はかまわないでも、物事は総体的に判断しなければならない。大人の考えをしよう。空っぽの事務所は歴史の大きなピリオド、現実なのだ。あと「あけぼの東京」を再スタートさせることが私の真の最後の勤め、これもいい感触を得ているので、心配していない。
●しかし、処分の荷物が多かった。捨てても捨てても様子が激変しないのだ。人間はどうしてこうも物に支配されながら生活をしているのか、事務所を閉めながら、「終活」とはよく言ったものだとつくづく感心した。でも、ここで、考えてみよう。まだ生きているのに、死ぬための片付けをするなんて、お利口さん過ぎるのじゃないか。みっともなく死ねばいい。私の母は2年前、101歳で亡くなったが、これという片づけをしてなかった。あっぱれ、あれでよかったのだ。
●同じく「ハウス」に来た会員の一人が「会長さんの文章が好きだから、HPは続けてください」と言った。こういうふうに気持ちをまっすぐ伝えてくれる人が好きだ。何を隠そう、私も自分の文章、キライではない。心がけていることは無駄な言葉は極力省く、英語のように主語述語目的語をはっきりさせる、わかりやすい、思った通りを文字にする、など。このうれしい声に応えて今まで通り書き続けるか思案中だ。私もみんなと繋がっていたい。
●「ハウス」では抗がん剤治療の体験談が続いた。しかも苦しい治療をみなが黙々と受けている。少しでも再発を止めたい、再発している人はこれ以上進まないように、強い願いをこめて、執念で続けている。体重が5,6キロ減少、人相が変わるほどの副作用だ。何とかならないものか、みんなが自分を納得させながら限界まで耐えている。根性に脱帽だ。一人一人を応援して、泣きたいなら一緒に泣いて、抱きしめて褒めてあげたい。
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※上下(じょうげ)町【広島県府中市】にある矢野温泉公園四季の里で開かれた「上下かかしまつり」。人気のキャラクターや時事問題などをテーマにしたかかし約70体がお披露目されました。府中市観光協会HP←クリック
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