手術で乳房がなくなることは私にとって第一の悩みではなく、一体この先何年生きられるのか、若死はいや、悩みはそれでした。私の人生を狂わせたがんという病気が許せない。腹立たしく思う日々が続きました。それでも徐々に「人の命の終焉は誰にもわからない、がんになってもならなくても死ぬ人は死ぬ」と開き直りができるようになりました。でもその心境に辿り着くまで、優に一年はかかったように記憶しています。

当時は全くがんに対する予備知識がなかったので、がんは必ず再発して、再発すれば死ぬ、しかも30代は若いので、若いと細胞分裂が活発だから、がんも進みやすい、とかそのくらいの先入観に振り回されていたのです。おまけに、私のがんは腋の下のリンパ節に転移していたと知らされたので、もう絶体絶命、もってあと五年の命とまで自分で決めてしまって、がんノイローゼのようになりました。

ですから、世の中のお医者さんたちが、もし、がんという貴重な体験をされたなら、一言、いってほしいのです。
「自分でがんを体験してみて、やっと患者さんの気持ちが分かりましたよ。再発の不安、死の恐怖は半端ではありませんね。これから患者さんと接する時は以前より、がん患者さんの気持ちがよく理解できると思います」と。
ところが、ドクターは口が裂けてもそのセリフはいいません。何があってもいわないと決めているようです。

あるとき、直腸がんを体験されたドクターを講師に招いた時は、なんとご自分の奥さんのケアのおかげで自分は立ち直った、と妻の話に終始したのです。妻がいなかったら今日の僕はいない、妻に感謝していると、そればかり。私ががっかりしたことはいうまでもありません。

また別のがんになったドクターは、私たちが再発の不安で落ち込んだとか、ショックで夜も眠れない、などさんざん正直な胸のうちを披露したあと、先生の個人的感情について語ってもらうと、
「僕は再発の心配はしないと決めています。なぜなら、心配すれば再発しないのなら、僕もしますよ。でも、再発は心配してもしなくても起きる時は起きる。だから僕は余計な心配はしない」
ええっ?これって科学的なのでしょうか。私たち、しろうとはバカなのでは、と言わんばかりの一言でした。

ドクターという人種は強がり屋で弱音が吐けないのだ、というのが私の診断です。が、これって誤診だと思いますか。
(「ジャパンウェルネス通信」2003年夏号に掲載されたものを短くしたものです)

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