「何もしなければひとかたまりになって流れてしまう日常の時間に、日々錘をつけながら過ごした一年」
なんという重たい言い回しでしょう。中でも、「おもりをつけながら」という表現。
これは歌人、永田紅さんの歌集『北部キャンパスの日々』の後書きに記されている一文だそうです。(永田さんは著名歌人、河野裕子さんの娘さんで、河野さんも一昨年かに乳がんの手術をされています。それで「突然の母の病気や揺れ動く恋心、将来への不安など・・・」をまとめた歌集という注記があります)

 私はこの「日々錘をつけながらすごす」という短歌的心理描写に身震いするほど感服しました。物理的には全く不可能ながら、そう心がけて生きる人間の執念が錘をつけることを可能にするのではと。今から27年も前、手術後のあの生き方がまさにこういうことではなかったか。一日、何でもいいから意義のあることをしないと夜、寝てはいけない、そんな脅迫感に襲われていた日々。

 がんが再発でもすれば、いつ死ぬとも限らないと思い込んでしまって、ならば、いつ死んでもいいように日々目一杯生きなければいけない、という論法で自分の世界を自縛してしまった。何しろ37歳の若さ。若年乳がんは今ごろ珍しくありませんが、今でも一個人にとっては全く予期せぬ出来事には違いありません。早晩、命に終わりが迫っていると思い始めて、焦って、もがいて、混乱の限りを尽くしました。

 私は人一倍自己愛が強いと見えて、自分の意思ではない運命なんてものに自分の人生が支配されるのが許せなかった、らしい。この「らしい」は、当初はまったくわからなかったことが、あるとき、誰かが「私は自己愛が強すぎて自殺も出来なかった」と書いていたのを読んで、始めて「自己愛が強い」という言葉に遭遇し、これこそ私のことだと納得したのでした。(恥ずかしながら、私は自己愛が強いのですね。異常といえるほど強い。とてもいやですが認めます)

 まあでも、あのとき辿り着いた結論が、いくらあがいても勝てない敵を相手にしているのだから、無駄な抵抗はやめて、あるもので手を打とう、しかし、そのあるものをフルに使ってやろう、というものでした。そして、私の名セリフ、「時間を抱きしめて生きる」が産まれました。「何もしなければひとかたまりになって流れてしまう日常の時間」を抱きしめて、そう簡単に流してしまうものか、と運命に向かって叫んだのです。

 大抵の人は、普段、そう力まずに、昨日と同じ日常を、今日も繰り返して、明日に繋ぐ生き方をしている。それが平和な日常なのです。私たちもがんになる前はそんな普通の生き方で十分満足だったのですが、がんのあとは違ってしまった。(この項、次回につづきます)