タイからの帰国のごあいさつが遅くなりました。帰るとすぐ大阪の講演会(9月11日)に日帰りで行ってきました。150人入り会場に190人近い人が押し寄せてうれしい悲鳴。少し窮屈な思いをさせてしまって申し訳なかった。大阪はあけぼの会の支部が中断したまま、もう3年も経つので、今回の催しを機に大阪支部再開を狙ったのでした。どうやら、再開できそうで、ホッとしています。
翌12日はあの人が私の留守中に死んでしまったので、自宅までお別れに行ってきました。連載(62)に書いてあった人です。やはり死んでしまった。お通夜お葬式に出られなくて可哀相なことをしてしまった。弔辞を読みたかったのに。でも私は涙もろいので泣いてしまって、とても読めなかったと思う。ただ、あの人の人となりを最後に称えてあげたかった。私はそれがとても上手だから。
さて、肝心のアジア大会報告です。日本から総勢61名、地元シンガポールに次ぐ一国参加人数で、開会式には全員おそろいのピンクTシャツを着たのもあって、かなり目立って、ジャパンここにあり、を主張してきました。他に台湾チームが黒にピンクのロゴ入りTシャツ、香港チームがやはりオレンジ色のTシャツを来て参加。これが印象的だったので、おそらく来期はどこの国もそれぞれのユニフォームを着るのではと予想されます。
来期は2006年、インドのボンベイで開催の予定、と公式発表がありました。そして、来来期即ち4年後、2008年にはジャパンでやってくれ、という全体の雰囲気で確答はせずに帰りましたが、大いに期待されています。さて、どうしましょう。
というのも、日本で国際会議をといわれても、一番困るのは言葉、英語の問題で、会話が出来ない。でも今から4年もあることだし、本気に勉強すれば、誰でも英語ペラペラになる。どれだけ本気か、によるでしょうね。
私がパワーポイントで日本のあけぼの会の歴史と活動状況、そして、会員が4000人もいると紹介したので、みんなビックリでした。笑いを誘うような発表が、大好評を博して、終ってから、人々が私のところへ寄って来て、あなたの話はよかった、面白かった、と喜んでくれました。始まる前までは緊張して、息が苦しくなるくらいなのですが、一旦始まるともう、なるようになれ、で落ち着いてきます。
あけぼの会の偉大さをアジア諸国のみなさんに強調した手前、4年後のアジア大会開催を断れなくなった。またとない機会と受けとめて、一丁やったるか、の気分になっています。もちろん、何も具体的には検討していないので、もう少し考えて、それから、開催宣言をスイスの本部のほうへ送ることになるでしょう。
これをようやく書き終えた私は、明日から台湾へ行ってきます。台中市にある乳がん患者会、開懐協会が中心で台湾全国大会があるので、そこへゲストスピーカーで招かれて行くのです。台湾の女性たちはメチャ明るくて元気。日本はちょっと太刀打ちできません。私が教わることがたくさんある旅になるでしょう。今度は台湾の報告を待っていてください。(実は私、本当に疲れています。動きすぎなのよ、自分の年を考えなさい)