私が風邪を引いてしまった。のどが千切れるように痛くなって、すぐに声が出なくなって、咳をすると響いて更に痛い。鼻水、鼻づまりでティッシュ箱を離せない。頭も重い。熱はないが、だるくてソファで寝たり起きたりして土、日終日家にいた。生姜を擦って蜂蜜を入れウイスキーを垂らしたホットドリンクを飲んで赤い顔をしている。シンチャンは朝の散歩は諦めたのか、自分でベランダへ出てオシッコをしてくれるので、助かっている。ベランダはバケツでダイナミックに水を流して洗っておしまい。洋の東西でシモノセワをしている私。抱っこしないと自分で階段を下りることもできなくなった。体重20キロ。

 田舎の母に電話をすると新潟にいるはずの弟が電話を取った。「えっ、お母さん、どうかしたの」肺炎を起こしかけて両津病院へ1週間入院したという。東京から6人兄弟末っ子の妹も駆けつけたそうだが、事情がわかっているので、みなで私を煩わせないよう配慮してくれていた。ありがたい。仕事とシンチャンと風邪の三重苦、今とても動けない。

 明るい話題の一つもほしいところ。夕べ香川の寺下さんから電話をもらった。彼女はいつもここという時にタイミングよく電話をくれる。私の「笑って」を支部長さんがまとめてファックスで送ってくれて読んでいるけど「泣けてきたわ」という。「でも会長さんの子供さん、2人ともいい子ねえ。どうやって育てたの」と聞いてくれる。「私が何もしなかったから。家は子育て、夫に任せていたから」(これって自慢することかしら)

 イギリスの夫の友人たちも口をそろえて、子供たちのことを「実によい子達だ、もし自分が病気になっても我が子がここまでしてくれるとは思えない、どうやって育てたのか」と聞く。父親は自分の子供を誉めてもらったのがうれしいのか、子供たちがよく面倒見てくれるのがありがたいのか、聞かれるたびにうれし泣きしていた。特に息子を見ていると、まるっきり父親と一心同体という感じで、私は到底かなわない。

 この息子が中学の時はさんざんのワルで、両親が学校に呼ばれたのが数回。仕舞いに放校になってしまって、代わりの学校を探すのが一苦労だった。それでも代わりの学校で1年間まじめに勉強したのが認められ、またもとの学校へ戻れることになった。真実は、そこへ戻りたい一心でまじめを通したのだった。夫は息子がどんなに乱れていても、帰ってくると「ハーイ、サンディ」といつもにこにこと迎え入れ、正面から咎めない。私は「何がハーイよ」とブツクサいいながら、顔も見なければ口も利きたくないことを態度にしっかり現す。「父親がもっと厳しく折檻しないからだめなのよ」と夫のせいにして、なじる。

 この繰り返しだったのに、息子の性格は少しもゆがんでなくて、昨今はゆがみの激しい私に説教をする。夫は「やさしい父親」というより、常に変わらず安定しているので、子供たちは安心できたのだと思う。機嫌がよかったり悪かったり、その日の体調でくるくる変わるのが子供を不安定にする。だから私は彼に任せたのよ。

 事務局の広岡さんがシンチャンの話を聞いただけで目を赤くしていた。犬のことは犬を飼っている人でないとわからない。あの世まで行って会いたい、なんていう人もいるのだから。