機内で今年のアカデミー作品賞をもらった「Crash」を見て、眠剤飲んで、あと2時間で成田、というアナウンスで飛び起きた。うるさいわね、2時間も前に起こさないでよ。朝食を配って片付ける時間が最低2時間要るのだ。その昔、横田基地発着の飛行機でスチュワ-デスを1年半経験した私はわかってはいるのだが、眠らせておいてくれたほうがありがたい人もいる。右隣はイギリス人の学者みたいな人で筑波へ行くのだそう。左隣は桐生からの30歳の女の子でお姉さんがロンドンのコルトンブルー学院を主席で卒業するので式に参列するために行った帰りだという。近い将来「料理の達人」に挑戦するのだろうか。

 成田から渡辺さんに帰国の報告をするために電話を入れた。すると「シンチャンがね・・・」と口ごもっている。シンチャンがどうしたの。「シンチャンがおなかに水が溜まって抜いてもらったんです」えっ、それってがんでしょ、腹水が溜まるなんて末期じゃないの、足がすくんでしまった。あのデブ公のおなかは太っていたのではなくて、腹水のせいだったんだ。シンチャンごめん。そういえば、イギリスへ発つ前に散歩の途中に3回も座り込んで動かなかった。思えば、あのときから悪かったのに、1ヶ月も何もしないでおいてしまった。

 病人から逃げてきたら、病犬が私を待ち伏せしていた。一体全体この世はどうなっているのかしら。しかもどちらの病気も重くて先が暗い。獣医と電話で話をして、どこが原発か尋ねてみた。おなかを開いてみないとどこだかわからないという。それは手術ですね、手術はよしましょう、腹水が溜まるような状態になってからでは手遅れでしょう、と自称‘がん専門家’の私は一気に喋った。先生も同じ考えだったので、すぐに合意に達した。

 「この先、また長期間留守にしますので、先生に全権委ねます。時期がきたら、眠らせてください」と言い添えた。「わかりました。水は溜まったらその都度抜きましょう」シンチャンもまもなく死ぬのだ。私の手からするりと抜けてどこかへに行ってしまう。悲しすぎる。私はペットロス症候群なんかになりたくなかったのに、そうなりそう。できるなら、私が日本にいる間に死んでくれたほうがいい。抱っこして「シンチャン長い間、うちの子でいてくれてありがとうね」と耳元で囁きたいのに。

 今、私のうしろで寝息を立てて眠っている。もともと公園のこどもパークにつながれて捨ててあった犬を、娘がまだ日本にいたころ、家に連れ帰り「犬をもらって」のポスターを貼り出そうとした。あのころ仕事で疲れ果てていた私は、この犬を散歩に連れて出て運動しなさい、という神のお告げかもしれない、と突然閃いて、ポスターを没収、自分で飼うことにした。年齢不詳の捨て犬。あれから10年、毎朝片道15分の世田谷公園に一緒に行って、ラジオ体操をみなさんとして、家に帰るのが日課になった。それが私の唯一の運動といえるものだが、朝の空気を吸うだけでおなかが空いて朝ごはんがおいしいのだ。

 生きとし生きるものはいつか死ぬ。でもこう不幸続きでは厄払いでもしてもらわなければ。娘たちにまだ知らせられずにいる。泣かないで伝える自信がない。シンチャンのおなかがまた膨らんできた。水を異常に飲んでいる。これって、ひょっとして腎臓かしら。