「願はくば花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ」でした。詠み人は西行法師さま。いつも私の原稿をHPにアップしてくれている事務局の‘とがし’さん、会員で群馬の木暮さんと岐阜の石ぐれさん、製薬会社の宮崎さん、計4人の読者さんからすぐに反応がありました。(こういう書き方はいいですね、誰か何か言ってくれるから) 感謝。他にもわかっていて、黙っていた人、いるんでしょ。どうせ誰か言っていくだろう・・・? ついでですが、「西行法師の終焉の地、弘川寺」の桜がネットで紹介されていて、それはお見事。こんな美しい写真の数々をいながらにして観賞させてもらえるなんて、これも感謝。

 今日4月1日エプリルフールは娘の誕生日、おかげさまで36歳になりました。イギリスは今8時間(サマータイム)の時差があり、日本の午後3時は朝の7時、もう少ししたら電話で‘ハッピーバースデー’を言わなければ。今年はプレゼントなし。お祝いにみんなでレストランにでも出かけてね。近くに車椅子で入れるところを見つけただろうか。

 娘は新宿の日赤産院で正午10分前に産まれた。私は30歳初産だったので、当時は‘高齢出産’扱いだった。あの朝7時のNHKニュースを見始めたとき、おかしくなって間もなく破水のような現象が始まった。予定日より1週間遅れていたので、いつ来てもおかしくない。早速ドクターに連絡を入れると産院へ来るようにといわれて、夫の車で向かった。それから4時間近く陣痛とプッシュプッシュの繰り返し。自然分娩で上手に産んだ。

 夫はどこかで調べてきた‘ラマ-ゼ法’という呼吸法で陣痛を和らげる出産方法を日本でも取り入れているドクターを探し出し、その先生にかかった。夜な夜な「ラマ-ゼ法」の本を手に夫婦で呼吸法の練習した。だが、実地では余り役に立たなくて、中途で背中に痛み止めを打ってもらっての出産だった。あのドクターこそインチキ。私は助かりました。

 夫は何か新しいことになるとすぐ関連参考書を数冊買い集めてきて予習する。そして、その本が書棚にたまっていく。お産のほか、例えば、イタリアへ行くとなると、イタリア語の簡単会話ブック、ミニ辞書、名所の写真集、歴史本といった具合。考えようによっては参考になるものすべてに敬意を表して、事前に勉強するのだから、まじめというか、謙虚というか、私のように、行き当たりばったり、なるようにしかならないのよ式、ゴーマンさはないのだから偉いのよね。

 娘の自慢話になるが、彼女はアメリカの幼稚園の先生からも同じ幼稚園の友だちのお母さんからも「要らなくなったら私にちょうだい」といわれたものだ。何で娘が要らなくなるのか。でも小さい時からお利巧さんで誰からも好かれ手がかからない子だったことは確か。今でもひたすら我慢強い子で、もっとわがままになってもらいたいと思っている。

 あのインド人の娘婿が春休みで7日にロンドンへ来ることになったので、急遽、私の出発を20日に延期した。別に避けているわけでなくて、ベッドがますます足りなくなるからだ。今でも夫、娘、孫、息子、メイドの計5人がひしめき合って寝ているのだから。