20日までイギリスへ戻らなくてもいいなら腰を据えて仕事をしよう。目下、会のニュースレター作りに励んでいる。このニュースレター作りこそ、私が全力投球で30年近く続けてきている大仕事。全国4500人の会員が首を長くして待っている。その期待が私を突き動かす。急かす。フロントページは決まって「全国のあけぼの会のみなさん、こんにちは」の呼びかけで始まる。そして、毎回開けてみないと中から何が出てくるか、わからない。作る本人も中身もページ数もわからないまま、作り始めるのだから。

 出版社や新聞社などの‘編集会議’という言葉を聞くと格好いいな、と思うのだけど、家には会議に出るメンバーが足りない。でも、ありがたいことには、会には優秀な才能頭脳の持ち主がいて、シリーズものを受け持ってくれている。「壮絶闘病記」は後藤栖子さん、「ナースの嘆き節」は聖路加国際病院の玉橋容子さん、「シネマ情報」は映画評論家の山中登美子さん、新鋭イラストレーターは島崎亮子さん、そして海の向こうから「アメリカリポート」の竹中智子さん、この人たちは完全プロ並みでどこへ出してもおかしくない。

 たった今、台湾の患者会‘台中開懐協会’から電話が入った。幹部のローラ、グレース、ケイティ、アイリス、それに今は上海に移住しているジョアンの6人が代わる代わる電話口に出て、夫はどうか、私は大丈夫か、と聞いてくれる。うれしくて、涙声になっている私。今日はミーティングでみなが集まり、どうしても日本のtakakoさんに電話をしようということになったのだそう。私の事情を知ったとき、すぐに夫と私の生年月日を聞いてきて、それを持ってどこかへ願掛けに行ってくれた。そして、今日も、私たちはみなでお祈りしているからね、とやさしく労わってくれる。「みんなに会いにまた台中に行きたいわ」

 私は既に台北、台中へ2回ずつ行って、行くたびに手厚いもてなしを受けている。ローラは最初<あけぼの会>のホームページを見てコンタクトしてきた。お互い日中の印刷物を交換し合って、すぐに仲良くなり、3年前ミラノ国際患者会(ノバルティス社主催)の会場で始めて会った。以来、シンガポールのアジア大会でも私が主催者に台湾を強く推奨して、すぐにローラにも自国の活動紹介の機会が与えられたのだった。以来、彼女たちは台湾を世に出してくれた恩人として私を奉ってくれている。

 こういう熱い友情は国を越えて生まれ、そして私生活の部分でも、こうして親しい愛情を送ってくれる。思えば、みな乳がんという一つの共通項を通じて結ばれているだけなのに。がん患者に国境はないのだ。私たちは韓国とも交流があって、昨年は記念すべき3国同盟を結んだ。そして今年、桜の時節に私が2国の友を日本に招待することになっていたのに、やむなくキャンセル、それで余計にみながさみしがっている。

 息子からのメールでみんなでオランダへ行くことになった、という。夫の友達がアムステルダムから1時間くらいの田舎でハンディキャップの人が泊まれる民宿ホテルをしていることがわかって、決めたという。汽車で5、6時間とか。心配は車中でお手洗いに行く時。車椅子はトイレの中まで入らない。入り口で病人を持ち上げて中へ入れて、逆転して座らせる?

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