夫は想像していたより衰えてはいなかったが、以前に比べて、誰が見ても病人とわかるほど全体的にやつれている。体のすべて左側が右に比べて麻痺化していて、まず左腕左手はだらっとしてほとんど役に立たない。左の口端からしょっ中、よだれが垂れ落ちるので、そのあたり、皮膚が赤くなっている。左足がどす黒くうっ血している。いすに座った形はあのホーキング博士を髣髴させる。食事は全部ミキサーで混ぜ合わせたものを摂っているが、複雑な色をした混合物を全く厭わず、おいしそうに、それも沢山食べるので救いだ。

 私が日本に帰っている間に息子、娘にメードのピペットも加わった3人体制がしっかり構築されていて、私の入り込む隙がない。私は時差のせいで、昼間は寝てばかり。でも夜中の12時に突如飛び起きると、息子はパソコンに向かってなにやら真剣、夫はニコニコとテレビで映画鑑賞しているので、その後2時ころ、ベッドに入れる手伝いを二晩続けてした。しかし、これは私の時差が解消されるまで。早寝早起き健康第一、を生涯通している私はこんな不健康な夜更かし族に付き合っていられない。
 
 ピペットが私の顔を見た途端、泣き出したので、思わず抱きしめた。実は私も飛行機の中でシンチャンをしのんで泣いてばかりいたのです。ピペちゃん、3月22日にここへ来て、ちょうど一ヶ月、重病のホームシック。生まれて始めて飛行機に乗って外国に来て、友達も身寄りもない国では心細かろう。超庶民的で肩の凝らない、朝も晩も暑い暑いのタイランドから、冷たい霙降る季節に、かしこまって気取った紳士の国イギリスに来たのだから落差が激しい。英語学校に行かせてあげたのに、すぐにやめてしまったそうだ。

 息子も娘も少しやせたように見えるので胸がいたい。夫は腕が弱くなって、いすから立ち上がる力が弱くなって、その分後ろから支える負担が大きくなって疲れる作業なのに、みな力まずに馴れた手順でこなしている。ベッドから車椅子、用を足すときは車椅子からコモート、終わるとコモートから車椅子、リラックスするときは車椅子からリビングのいす、そして寝るときはそこから車椅子でべッドルームに戻り、横になるまで、日に何回かの移動。そんな移動作業の最中に、時に二人で歌を歌い始めたり、大声で笑ったりして、それがごく自然なので、家の空気を明るくしてくれる。ありがたい。

 二人はピペットにも気配りをして、息子はタイ語の辞書を開いてはおかしなフレーズを探してピペットを笑わせている。孫のリラも何でもピペットに分配してあげて、小さいながら気を使ってくれている。誰もタイメードを冷遇していたわけではなかったので安心した。私を見て本国のお母さんを思い出して懐かしくて泣いたのだろう。 みんなが少しほっとしてくれれば私のいる意味がある。私ってこうなると「世界の母」だわね。

 この29日はリラ4歳の誕生日。イギリスで生まれて(国籍のために娘は意図的にこの国で生んだ)、2歳の時はたまたまロサンジェルスの私の妹の家で、3歳はバンコックで、そして4歳はまたイギリスへ戻ってこの日を迎える。おじいちゃんと一緒の誕生日は最後になるだろう。孫の友達がまだいないのがちょっとかわいそうだが、その分この辺にいる大人で盛り上げる予定。夢の中で、立って歩き始めたという夫の心を思うと憐れだが、お向かいの庭に潜んでいたチューリップが今満開。ピンク、赤、黄色、ここにも春の訪れ。