足がしっかり地に着かず、宙を浮遊していたような感じのまま1ヶ月日本にいた私はあと1時間で家を出てまた成田へ向かう。夜、ソファに座ってテレビを点けると、じきに居眠りをして、ならばベッドに入るか、というような生活で少しもインテリライフではなかった。それでも事務所ではよく働き、ニュースレターNo.110を作り、講演会も開催して大盛会で、会長職を見事こなしたのでした。一度も体力が元に戻らないまま、また敵地に乗り込む兵士のような心境だが、敵地に着けば、また不思議に力が湧いて出てくるのだろう。
なんと言っても肝心の病人をじかに見て、1ヶ月の間どれだけ進行しているのか、見極めることが私の課題難題。少し怖い。何でもあるがままに受け入れるしかない。これは最近の私の信条だ。「水は流れるようにしか流れない」。こんなバタバタした時期にあけぼの会の事務局スタッフが3人どんと辞めた。それぞれ事情はあるにしても、現実問題として、残留スタッフはいっときパニックっていた。しかし、幸か不幸か、私にはパニクる気力もないので、水の流れに任せればいいのよ、の悟りで窮を凌いでいる。
今、日本を発つに当たって、一人の人の電話相談が気になっている。29歳で乳がん手術、再発を重ね、遂に、これ以上打つ手がありません、と宣告されてしまった。しかし、彼女はなんとしてでも子供を産みたいのだという。「子供は産めばいいというものではないのよね、育てる義務もあるでしょ」「そんなことわかっています。でも価値観の問題だから」(中途で二人ともダメになることも考えられるでしょ、とは言えない)「産まれていれば、なんとしてでも生きられると思う」「そうね、でも会の中に、小さな子供を残してなくなった人がいて、ご主人が子供のこと仕事のこと、両方はできないのでどうしたものか」と嘆いていた人がいたのよ、とまで言ってしまった。
しかし、その点は手を打ってある、という。あけぼの会に自分と同じくらい、がんが進行していて出産経験のある人はいないか、というのが彼女の相談だった。「いませんね」ときっぱり答えてみたものの、彼女が最後にしたいことは何でもかなえてあげればいいのではないか、とも思う。かなえてあげなければならないのではないか。確かめなかったけど、彼女はきっと、自分が生きた証、イコール、自分の血を引く子供、を残したいのだ。この瞬間も彼女はまだ迷っているのだろう。産むと決めたら一刻も早く取り掛からなければ。妊娠すれば、女性ホルモンを刺激して、がんが急激に進行する恐れがある、とも言ったのだが、そんなことはとっくに主治医から聞いています、と激情する。
どうしたものか、かわいそうな人が世の中にいっぱいいることを私は忘れそうになっていた。夕べ、猫のジローがいないので、探したら、なんとシンチャン仏壇の机の上にちょこんと座っている。目を開けていたので、寝ずの番をしていたのかもしれない。シンチャンの骨の匂いがするのだろうか。抱いてきて、私のベッドに入れるとまたすぐに戻って、同じスポットに座る。シンチャンに猫の守を頼んだのが、反対にジローがシンチャンのお守をしてくれている。とにかく、みんなでお利巧していてね。