夫の激しい寝息が開け放した彼のベッドルームから轟いている。今、朝5時。人間死ぬ前に昏睡状態に陥って高いびきをかくことを思い出して、あわててのぞいて見てきたが昏睡か単なるいびきなのか、見分けられない。ため息を大きくつくように、息を口からか、口と鼻の両方からか吐き出している。熟睡している証拠なのだろうか。実は私はALS患者がどんなふうに最後を迎えるのか、まだ知らないし、子供たちにもそんなことは聞けないでいる。当然、呼吸困難に陥るのだろうが、その前はどうなるのだろう。

 息子は父親が早晩死ぬとは断固信じていない。過日、「良き隣人」というボランティア団体から人が来て、夫に会っていった。地区の社会福祉係から指示を受けた家を訪問して30分間話し相手をするボランティアシステム。ただ、この家には大勢の人間がいたのでびっくりおったまげた様子。「原則として、一人暮らしで、話し相手のいない人を訪問するのです」と一しきり断って退散していった。そのときの良き隣人に「ここでの住まいは一時的ですか」と聞かれて、私が「いえ、この人が死ぬまでです」と答えそうになると、「いえ、恒久的です」と息子がきっぱり言って入った。

 その息子にも遂に限界がきた。にわかに盲腸の傷跡あたりが痛いと言い出し、手術を受けた病院の緊急外来に行くことになった。それを聞いた夫がすかさず機械で「マミーが付いて行ってあげてほしい」と言う。気が付かなかったのんびりマミーはあわてて支度をして、息子と地下鉄で出かけた。彼にもたまには介護人が必要でしょう。

 幸い、傷が中で破裂したとかではなかったが、痛みに対しても家にある痛み止めをのみなさい、とすげなくて、何もしてもらえなかったので、付き添っていった私のほうがちょっとがっかり。いっそ入院でもさせてくれれば彼もゆっくり休めるのだが、病院はホテルではありません。私がイギリスにいる間に日本に帰ってくるか、と口では言っているんだけど、一向に実行に移す気配がない。何とか息抜きをしてほしいのに、息を張り詰めたまま、すでに3ヶ月になる。思えば、バンコクへ来て専従介護を始めたのは1月末、そして、2月14日にこの国に移動して、今は4月末。

 私の時差問題は1週間経った今もしつこく改善されず、今朝は3時に目が開いた。それでも昨日までより1時間は進歩している。メードのピペと私は、夫の以前のアパートまで歩いて行って寝ている。私が来てから、ここは定員オーバーなのだ。朝7時になると二人で、さながら母娘派出婦みたいな意気込みで、少し坂になっている道を15分登ってきていた。しかし、今朝は4時に一人でアパートを出た。まだ街頭が灯っていて、人けがなく、薄気味悪い。暴漢にレイプでもされたらどうしよう。悲鳴を上げればいいのよ。

 私は今回の渡英では大して役にも立っていない感がして、無理してくることはなかったのかと、そのことを朝3時に悩んでいた。すると、汝には書くことが残っていたはず、と突然の神のお告げが聞こえた。ならば、まだ人々が寝静まっているこの時間しかない、と思い切って朝未だき道を登ってきた。こういうときの孤独な決断、そして勇気を振り絞る自分の行為を私は嫌いではない。人と違ったことをする気概なら、一人で、固い信念で、一歩踏み出さなければならないことを、私は今までにも何度も経験して、よく知っている。