この国では時に日本では見かけない光景が目に付く。犬や自転車を電車に堂々と連れて乗る。ベビーカーはバスにもそのまま乗せて、車内にはベビーカーを置くスペースも用意されている。犬に鎖など付けないばかりか、店の前に放ったまま、主は店内で用をする。喫茶店の外のテーブルでお茶を飲む客は自分の椅子が歩道の4分の3まで侵襲していても知らん顔。地下鉄もサブウェイではなく‘チューブ’と呼ばれるように丸い管の形をしていて車両が細く床幅が狭い。それでもシートの奥行きが銀座線のより深くて座り心地はよいが、足の長い人は行儀よく座っても双方の空間が50センチもあるか、そこに思い切り足を投げ出して通路を塞いで平気な人がいる。横断歩道の黄色の点滅で車は猛発進する。

 他に電車の中でケータイで大声で話す人、キスしていちゃつく人、ムシャムシャとサンドイッチを食べる人、などがいるが、これは東京でも見かけるようになって久しい。日本人の美徳「公衆道徳」という言葉はどこへ行ったのだろう。電車の中の自転車を見て、その昔、カンボジアからダッカへ飛んだとき、山羊を立たせたまま積んでいて仰天したのを思い出す。あの山羊の飛行機代はいくらだったのだろうか。

 ダッカといえば、当時東パキスタンの首都だったが、私はてっきりインドだと勘違いして空港に降りたのにビザがない。あわや一晩拘置されるかというとき、日本領事館からやさしい青年が駆けつけて、私の身柄を保証してくれ難を逃れて、翌日の飛行機で出国したという武勇伝もある。古きよき昔、今なら入国拒否だろう。しかし、今はビザも要らなくなっている。青年は当時日本から一人で迷い込んで来るかわいい女の子は珍しかったのか、夕食まで食べさせてくれた。あの命の恩人に会って返礼したいが、名前がわからない。

 水曜日、朝から霧雨。息子の友達のお母さんの郊外の家を訪ねることにした。地下鉄スイスイ、チャリングクロス駅から急行で35分、正午発だったので、車内はがら空き。車で迎えに出てくれた彼女の笑顔にホッとする。実は私は今、かなり重症の欝、涙もろくなっている。歩いていても、足だけが機械的に交互に前後しているだけで、自分が付いて歩いている感じがない。夢遊病か。だから思い切って出かけてきたのは正解だった。欝が高じて異国で自殺でもしたらみっともないし、今や、夫より先には死ねないことになっている。

 郊外の家は、家の中も外も想像通り広々として、風景画の中に吸い込まれてしまった。家の前の芝生の庭には英国庭園にふさわしい色とりどりのバラの花、他もろもろの花。かなた境界線に大樹が林立、更なる向こうに無限大の草原が広がって、富良野のジャガイモ畑を思い出す。いいなあ、羨ましいなあ、こんな生活をしている人。彼女を見ていて、結婚て、夫とともに家庭を作り、夫とともに寝食を共にすることなんだ、と極く当たり前の摂理に今ころ気が付く。私はといえば、夫が西と言っても東へ行ったような自己中心的な結婚生活だった。だから、老後の今になって、夫の介護というしっぺ返しを喰らっている。

 しかし、人はそれぞれ決められた道を歩いて行くしかないのが人生。抗えないのだから他人の人生を羨ましがっても二人分の道は歩けない、欲張っても始まらないのだ。